筆者は北京で旅行を学ぶ大学院生。妻は中国人。明るい話題の少ない日中関係ですが、将来に向けて建設的な提案を行なっていけたらと思ってます。末永くよろしくです。
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山西帰省旅行記“其の四”

2月6日(旧暦正月初九)
北京に帰る日がやってきた。バスターミナルや大きな駅のある原平の市内まで送ることができないとのことで、近くの駅から北京行きの各駅停車で帰ることになった。爸爸にバイクで送ってもらって、列車の時刻の20分ほど前に駅に着く。

が、「帰省に伴う混乱を防ぐため、本日は当駅からの乗車はできません」の文字。

「混乱を防ぐため、駅ごと閉鎖」とは、さすが中国、根本的なすばらしい解決方法である。しかも事前通達なしのフェイントである。しかし乗客の我々からすれば、たまったもんじゃない。特に妻は、明後日から仕事なのだ。何としてでも北京へ帰らなければならない。
駅前にはあきらめて帰ろうとする人、泣きそうな顔をして通達を見つめる人、駅員に「開けろ!」と叫ぶ人、等々がたむろしていた。僕らもとりあえず帰ろうとしたその時、たまたまその場にいた爸爸の友達が、「駅の裏からプラットホームに侵入できる」と耳打ちした。降りる客もいるのだから、列車は駅に停車はするだろう。どさくさにまぎれて乗り込んで、切符は後で何とかしようという魂胆だ。列車の到着時刻は迫っている。そうと決まればすぐにでも行動開始だ。バイクで駅の裏の畑に乗りつけ、そこからプラットホームに侵入した。
「上に政策あれば、民に対策あり」とはよく言ったものだ。プラットホームには僕らと同じように侵入した客が、すでに20人ほどいた。駅員は「今日は列車には乗れん。帰れ帰れ!」と言うのだが、誰もみな「あー、そうですか」という顔をして聞き流すばかりで、帰ろうとしない。午前11時半、定刻で列車が到着し、同時に我々20人の壮絶なバトルが始まった。そもそも乗車は禁じられているのだ。整列乗車など守っていてはドアを閉められてしまう。中年男が車掌とドアの間に強引に割込み、ドアが閉められないようにブロック体制に入る(ドアは手動なのだ)。その隙を突いて、全員雪崩のように車内へ押し入った。成功だ。

さて、僕がこの日利用したのは7096番列車の座席車。この列車には過去10回ほど乗っているのだが、乗るたびに「もう二度と乗るまい」と思いつつ、他の交通手段がないため乗らざるを得なくなる、因縁の列車である。中国旅行経験豊富な私は、声を大にして宣言する。これこそ中国一オゾマシイ列車である。読者の皆様が間違ってもこの列車を利用することがないよう、そのオゾマシサを以下に書き記しておく。お食事中の方は、読み飛ばしていただきたい。
山西省は水資源の乏しいところで、風呂に入ったりシャワーを浴びたりする間隔が著しく長い地域である。ましてこの列車の利用客は肉体労働者が多く、体内から発散される分泌物の量は言語に絶する。彼らを差別する意図は全くないが、客観的事実として非常に臭い。特に靴を脱いで、素足を座席の上に放り出された日には、鼻がひん曲がるほどの激臭が襲いかかる。
この列車は山西省の省都太原から北京までを、およそ15時間かけて結んでいる。しかも食堂車はない。となると、必然として乗客は車内で食事を摂る事になる。というわけで、ヒマワリの皮(ヒマワリの種は中国で最も一般的なおやつ)、インスタントラーメンの空容器、唐揚らしきものの骨、リンゴの芯やみかんの皮、その他お菓子や食べ物の袋、ペットボトル等が床に散乱する事になる。ゴミ箱に捨てればいいじゃないかという指摘は的を射ていない。ゴミの量が半端じゃないので、ゴミ箱なんかすぐに溢れ出してしまうのだ。散らかすなら散らかすで、そのままにしておけばいいのに、数時間毎に車掌が掃除に来る。ほうきで乱暴にブワブワと埃をまきあげ、車内は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化す。
極めつけはトイレである。一応水洗なのだが水力が弱く、排泄物を押し流す能力がないらしい。15時間の旅程では、大きい方をしたくなる乗客も少なくないわけで、●●●は塔のように積み上げられていく。中国の一般的なトイレはしゃがみ式なのだが、●●●が高い塔を形成すると、しゃがんだ際にお尻が塔に接触する事になる。それは何としてでも避けなければならない。このような極限の状況において、人はどのように用を足すか。方法は一つしかない。便器以外のところですればよいのだ。…というわけで、トイレの至るところに●●●が散乱する事になる。これらが発する独特の臭気は、トイレのドア開閉の度に、車内に充満する。車内の掃除に熱心な車掌も、どういうわけだかトイレ掃除をしようとはしない。乗客に故意の嫌がらせをしているとしか思えない。
これだけならまだいいのだ。もとい、これだけでも十分に地獄絵図的状況であるが、更にひどいことがあるのだ。私は上記のような、生命に直接害を及ぼす事がない(精神的影響を除く)と思われる臭気に対しては、抜群の耐性を持っている。そんな私が音を上げざるを得ない理由は、人体に悪影響を及ぼす臭気である。
まず第一に、タバコ。長時間にわたって娯楽のない車内に閉じ込められると、タバコしかする事がない。というわけで、吸える人(中国の場合、男のほとんど)はみなチェーンスモーキングになる。一応全車禁煙のはずなのだが、まったくもって守られていない。車掌が周って来る度に「タバコを消せ消せ!」と命令するのだが、一分後には今消したタバコに火を付ける有様である。
もう一つは、煤だ。この列車は石炭ストーブで車内を暖めたり、乗客にお湯を提供したりしている。列車を牽引しているのはディーゼル機関車なので、その排ガスも出る。今は冬で、窓はしっかり閉められているはずなのだが(これが上記の悪臭がこもる原因でもある)、どこからともなく煤が車内に流れ込んでくる。乗客は例外なく煤まみれになり、鼻糞は真っ黒に染め上がる。いや、鼻糞ではなく、煤そのものが鼻に詰まっているのかもしれない。食べかけのラーメンなどはしっかり蓋をしておかないと、5分もすればスープに黒い物が無数に浮いている。窓枠・テーブル・人の座っていないシート等にむやみに触れてはいけない。触れれば一瞬で、手が真っ黒になる。沿線はトンネルが多く、トンネルに入ると状況は更に悪化する。息が詰まりそうだ。頭が痛くなる。

このような状況において、旅の道連れ(?)であるはずの我が妻は、、、、

乗車するや否や、マフラーを顔に巻いてさっさと寝てしまった。マフラーをマスク代わりに使い、全ての感覚器官を閉ざして、暗黒の10時間を乗り切ろうという作戦らしい。先手を取られた。僕も寝たいところなのだが、そうすると荷物を見ておく人がいなくなるのでそうもいかないのだ。というわけで、話し相手もおらず、悶々としてこの悪魔的状況に耐えることになった。

途中、車掌が検札にやってきた。上に書いたように(だいぶ上だが…)、僕は強行突入で乗車したので、切符を持ってない。何か咎められるかと心配したが、何も言われる事なく切符が買えた。一人26元。10時間乗って、4~500kmの距離で、この値段である。ありえない安さだ。

この列車は途中、中国仏教の聖地である五台山(標高3058m)の麓を通る。線路の標高も2000mくらいはあるのだろう。ここを通る時に飲み終わったペットボトルの口をぎゅっと閉めておくと、北京(標高55m)に着いた時に、ペットボトルは気圧の変化でぐしゃっと潰れているのだ。「だから何だ」と言われたら困ってしまうのだが、毎回この列車に乗る際、唯一にしてささやかな楽しみは、潰れたペットボトルを作ることである。

この日、華北(中国北部)は記録的な大雪だったらしい。といっても10cmほどなのだが。列車の延着を心配したが、定刻通り9時過ぎに終点の北京南駅に着いた。
家に着いたら速攻で着ていたものを全て洗濯機にぶち込む。念入りにシャワーを浴びて、寝たのは2時過ぎであった。
もうあの列車には二度と乗りたくない。と言いつつ、また乗らざるを得なくなるんだろうなあ……。

<完>
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by t-kume | 2006-02-16 14:21 | 日記・随筆

山西帰省旅行記“其の三”

2月3日(旧暦正月初六)
この日も寝正月だった。昼過ぎに爷爷(イエイエ、父方の祖父)と奶奶(ナイナイ、父方の祖母)の家を訪問に行った。訪問と言っても歩いて5分の距離である。
爸爸、奶奶、刘鑫と僕の4人で麻雀をした。中国の麻雀は日本式と違って非常にシンプルだ。特にこの日は子供向けにルールが簡素化されていたのか、ただ鳴きまくって上がればいい、役も振りテンもあったもんじゃないという、超簡単ルールだった。はっきり言ってつまらないのだが、要は麻雀をしながらしゃべりましょう、子供を黙らせておきましょうという事らしかった。

適当なところで切り上げ、大姑(ダーグー、父の姉妹の中で一番年上の人)の家へ行く。ここも歩いて5分だ。
この家の大哥(ダーガー、長兄)は、僕が結婚する時に妻一家を説得してくれた人で、太原滞在中も仲良くしていたのだが、残念ながら今年の正月は里帰りしないそうだ。何でも「帰省してもお年玉が払えない」のだとか…。山西省では親戚関係によって孫ならいくら、甥・姪ならいくらというように、お年玉の大体の額が決まっていて、会えば絶対それ相応の額を払わなければならなくなる。大家族なので、お年玉と言えど馬鹿にはできない額になるのだ。しかし、お年玉が原因で帰省できなくなるとは、何だか本末転倒なような、可哀想なような、複雑な気がした。


2月4日(旧暦正月初七)
この日は一家総出で、10kmほど離れた村にある老爷(ラオイエ、母方の祖父)と姥姥(ラオラオ、母方の祖母)の家を訪問に行った。妈妈の兄弟姉妹4人と、その夫婦や子供が大集合していた。
姥姥は敬虔な仏教徒で、肉や魚や動物油を食べない。それで普段は肉を調理しないのだが、客が来る時はそうも言ってられないので、村のコックを呼んで作ってもらっている。婚約以来毎年この時期に来ているのだが、このコックが作る料理がたまらなくうまい。毎日でも食べたいぐらいだ。二週間前に結婚したばかりの表弟(ビャオディー、従兄弟の弟)と、ついつい飲みすぎてしまった。
食後は、去年日本に帰った時のビデオを披露した。大した物は撮ってないのだが、海を見たことない人ばかりなので、沖縄のビデオは受けがよかった。

帰り際に近くのお寺らしきところに寄る。境内ではダンスが行なわれていた。姨夫(イーフ、母の姉妹の旦那)が、村長らしき人に「日本からのお客さんだ」みたいな事を言ったらしく、一躍注目の的になってしまう。
管理人らしき人が出てきて、御堂の鍵を開けて、関羽・周倉・関平やら子宝の神様やら先祖に会える神様やら観世音菩薩やら、色々なお寺の神様を見せてくれて、説明までしてくれた。お線香を上げてお賽銭を入れてお参りしておいた。こういう時、中国は融通が利いて面白いなと思う(融通が利くのは田舎限定ですが)。


2月5日(旧暦正月初八)
昼前に爸爸と刘鑫と一緒に、村の広場へダンスを見に行く。テレビがここまで普及してる時代に、素人のダンスなんて人気がないらしく、見物人は年寄りと子供ばかりだった。我が家でも子供が行きたがるので、渋々連れて来ただけであった。僕も初めて見るわけではないので、取り立てて興味はなかったのだが、家にいるのも暇なので見に行った。案の定、つまらなかった。

散歩がてら、歩いて10分くらいのところにある川を見に行く。この辺の人はこの川を「大河(ダーハー)」と呼んでいるのだが、大河だったのは十数年前の話で、最近は気候変動で川幅10数メートルの小川になってしまっている。これだって山西省にしてみれば随分大河なのだが…。去年来た時はダンプカーで通ってもびくともしなそうな氷が張っていたのだが、今年は川の上を歩くとミシミシ音がする。川を渡るのは止めて、帰ることにする。
川沿いの地面には霜のような白い物が一面にはびこっている。爸爸曰く、塩だそうな。試しに舐めてみると、確かに塩辛い。山西省の土壌は塩分が濃く、川沿いは特に濃いので作物が育たない。昔はこの白い砂を集めて持ち帰り、水に溶いて濾過して蒸発させて塩を作っていたそうだが、最近はコストの割に少量しか取れないのと面倒臭いので、塩作りは止めてしまったんだそうな。
そういえば前回帰国する際に、村の有力者から「日本の土壌改良技術を売ってくれる人を探してきてくれんか」と依頼されていた。まず詳細状況を報告してくれるよう頼んだのだが、返答がなく、それきり話が途絶えてしまっている。誰かその方面詳しい人、助けてくださいませんか?

昼飯には、僕がお土産に買ってきた「五粮液(ウーリャンイエ)」という白酒を開けた。僕はずっと山西省に滞在しておきながら、山西省のキリリとした酒より、四川省のコクのある酒の方が好きなのだ。それで思いっきり自分の好みで、今回は四川省の酒の代表格である五粮液をお土産にしたのだ。で、家族やその友達にも飲んでもらったのだが「うまいとは思うが飲みなれない」との事。失敗であった。次回は北京産のキリリ酒「二锅头(アルグオトウ)」を買って帰ろうと思った。

午後は、のんべんだらりと過ごし、この日を終えた。
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by t-kume | 2006-02-14 16:13 | 日記・随筆

山西帰省旅行記“其の二”

2月2日(旧暦正月初五)
北京発太原行N201列車。車内はムーンライトになる前の大垣夜行に乗ったことのある人はあんな感じだと思ってもらえればいい。夜行なので車窓の景色も何もあったもんじゃない。寝たり起きたり話したり食べたりを繰り返すだけだ。列車を避けてバスにしたかった何よりの理由は、原平の到着時間だ。朝5時過ぎ。妻の実家への始発バスは8時頃だろうから、それまで駅の待合室で震えていなければならない。列車が3時間ほど遅れてくれる事を切に切に祈ったが、快調に飛ばしていく。延着は望み薄だ。
ところが朝の4時ごろに妻の姐夫(ジエフー、姉の旦那)から携帯に電話がかかる(以下いちいち「妻の○○」「妻の★★」と書くのは面倒くさいので、「妻の」は省略する)。駅まで軽トラで迎えに行ってやるとの事だ。こんな朝早くに、なんていい人なんだ!!いやー、助かった。
朝5時15分。ほぼ定刻に、零下15度のプラットホームに投げ出される。待合室に駆け込むが、ここもあんまり暖かくない。5時半頃に姐夫が迎えに来てくれた。迎えに来てもらってこういうのもなんだが、軽トラはものすごいオンボロだ。窓は斜めに入ってて完全に閉まらないし、穴という穴から隙間風が入ってものすごく寒い。大人三人が横一列に座るものだから、ものすごく窮屈だ。威勢のいいモーター音とは裏腹に、速度は一向に上がらない。妻の実家までは国道108号線を北に一直線だ。1時間弱の道のりで、一度もカーブがない大平原である。6時半頃“崞阳镇郑家营村”の実家に到着する。妈妈(マーマ、母)が起きて、石炭ストーブに火をくべてくれていた。感謝感謝。

ところでこの家、いろいろ面白いのだ。爸爸(バーバ、父)は左官兼絵描きで、家の壁に山水画や動物画を画いたり、寺に観世音菩薩や関羽の粘土細工を作ったりしている。そんなわけで、この家には壁という壁、門という門に絵が画いてあるのだ。あと面白いのは、直径1メートルはある大鍋。これは山西省でもこの地方にしかない物だそうで、鍋の底で麺や餃子などを茹でつつ、その蒸気を利用して肉まんやら残り飯やらを温めることができる優れ物だ。大人二人でないと持ち上がらないので、洗うのはとても大変なんですが…。石炭が豊富で火力には困らないのと、極端に水資源が不足してるのとで、こういう鍋ができたのかなあと思う(違ってたらごめんなさい)。

あと面白いのが、資源のリサイクル方法。大まかに言うとこんな感じです。手と顔を洗った水で足を洗う。洗濯に使った水は床掃除や雑巾洗いに利用する。これらの水は家の外に捨てて、井戸の周りには撒かない。野菜を洗った水は庭の植物に撒く。食器をすすいだ油の混じった水は番犬や家畜に飲ませる。残飯は番犬や家畜にやったりポットントイレに捨てたりする。石炭ストーブの燃えカスもトイレに捨てて、トイレのゴミは肥料にする。自分で汲み取るのは嫌なので、大抵の家庭は1斤(=500g)いくらとかで(細かい数字は忘れました)業者に売っているようです。などなど、非常に合理的です。

昼前に姐姐(ジエジエ、姉)一家がやってきた。今年小学校に上がる甥の刘鑫(リウシン)がやってくると、僕が子守役になる。昔取った杵柄で(大学時代は子供会をやっておりました)、子供と遊ぶのはお手の物だ。僕と遊べば騒がない泣かないということで、親戚一同からも信頼されている。そもそも僕は方言が分からず、大人連中の話には口を挟めないということもあるんだが…(1対1で話す時は標準語らしき言葉を話してくれるのだが、3人以上での会話になると未だに聞き取るのが辛い)。

昨晩あまり寝ていない事もあり、この日は「朝食+酒→だべり→朝寝→昼食+酒→だべり→昼寝→夕食+酒→だべり→就寝」という典型的寝正月を過ごしてしまった。帰省が遅かった事もあり、正月料理の華の部分はすでに食べつくされてしまっていたが、絞めたばかりの鶏と、近所から買ってきた豚の丸焼き(豚一頭は一家では食べきれないので、食べる時は近所を呼んで切売りするらしい)は最高にうまかった。
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by t-kume | 2006-02-11 15:22 | 日記・随筆

山西省帰省旅行記“其の一”

更新が随分途絶えてしまいました。一昨日まで山西省の妻の実家に里帰りしておりました。今日から数回にわたって、その時の様子をお届けしたいと思います。

2月1日(旧暦正月初四)
妻の実家のある山西省原平市へは、去年北京からの直通バスができました。1日1往復だけですが。列車と比べて運賃は倍ほどするのですが、バスは速くて快適なので(日本と逆ですね)利用してみる事にしました。そこで、北京西駅の近くにある六里橋バスターミナルへ。

…が、来ない。

時刻表では1月29日の旧暦の元日から三日間運休した後、この日から運行再開のはずである。これは正月前に電話でも確認したし、現に今、ターミナルの切符売り場で聞いてもそうだと言う。なぜ来ないのかを問いただすと、
「ドライバーが今日は客足が見込めないと踏んで、正月休みを延長したのでしょう」
とのこと。「はあ???」である。だったら始めからそう発表しろよと言いたい。もとい、言った。だが言ったところでどうにもならない。
とりあえず、時刻表どおりバスに乗るつもりで重い荷物を担いでタクシーで来たのだから、そのタクシー代は返金されるべきだと詰め寄る。が…
「你到法院起诉去吧,车站跟司机没关系(裁判所へ訴えなさるがよろしかろう。バスターミナルはドライバーと無関係です)」
「はあ?????」である。返金は無理だろうと思っていたし、丁寧に理由を説明されて、謝罪の言葉も聞ければ納得しようと思っていたのだが、この一言でブチ切れた。責任者を出せとゴネる。中国の切符売り場は、列車でもバスでもガラス越しになっている所が多いのだが、これはつかみ合いのケンカを避けるためかと思う。この服務態度でケンカにならない方がおかしい。周囲のお客様にも聞こえるように、大声で切符売りのおばちゃんを非難したが、奴は首を横に振るばかりでお話にならない。埒が開かないのであきらめる。ただ引き下がるのも癪なので、でかい音を出してタンを吐き捨ててやった。心が狭いと言われようが、マナーが悪いと言われようが、そのくらいしないと収まらない(中国の名誉のために言っておくと、ところ構わずタンを吐き散らしていたのは一昔前の話。今、普通の人は、公衆の面前ではほとんどやりません)。
あきらめて帰ろうとすると、ターミナルの入口近くで、大同という原平に程近い町(と言っても150kmはある)へ行く車のドライバーが客引きをやっていた。大同で乗り換えて帰省するのもありかと思い、大同方言の分かる妻が値段交渉に行った。こういう値段交渉は方言でやってもらうに限る。そうすれば事情通と思われ、ドライバーも無茶な値段は提示してこないのが普通だ。が、提示された運賃は1人300元。普段の3倍以上の値段だ。正月で正規のバスがないのをいいことに、完全に足元を見られている。こんな奴の車に乗ったら、どこぞの山奥で身ぐるみ剥がれて捨てられかねない。そもそもそんな金があるなら飛行機で帰省している。値段交渉をさっさと切り上げ、夜の列車の切符を取るべく北京駅へ向かった。

北京駅ではあっさり今晩の切符が取れた。中国の帰省ラッシュは日本のに輪をかけて凄まじいが、この時期地方へ向かう列車は正月明けの下り線なので、客はそれほど多くない。硬座(2等座席)で1人65元。バスの半額だ。憂さ晴らしに、浮いた分のお金で北京ダックでも食べようという事になった。そうと決まれば元気百倍だ。勇んで王府井の“全聚德”という有名な北京ダックの店へ向かう。

高かった。僕は山西省太原で食べた時の感覚で、全聚德は二人でおなか一杯食べて80元のつもりで行ったのだが、腹八分で204元もかかってしまった。全国統一価格ではないのだろうか?それとも知らぬ間に値上げされてたのか?目の玉が飛び出るほどの高さに、大好きな“アヒルの心臓の直火焼”をあきらめる。初めて食べた“アヒルの肝の冷菜”は、チーズみたいでうまかった。他はまあまあやね。「浮いた分のお金」のつもりが、痛い出費を強いられる。自費で全聚德に行く事は当分あるまい。
余談だが、北京ダックは基本的に皮付き肉しかたべないので、皮を切り取った後の肉と骨が大量に余る。王府井の全聚德ではこの余り(中国語で“鸭架”)を、三匹分10元で売っている(テイクアウトのみ)。これ半匹分と冬瓜を圧力鍋で煮込めば、4~5人前のアヒル肉スープが作れる。驚きの安さで、しかもうまい。北京在住の方、ぜひお試しあれ。

今晩の列車は寝台ではないので、家に帰って昼寝をする。8時過ぎに家を出て、北京駅へ向かった。
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by t-kume | 2006-02-08 12:32 | 日記・随筆