筆者は北京で旅行を学ぶ大学院生。妻は中国人。明るい話題の少ない日中関係ですが、将来に向けて建設的な提案を行なっていけたらと思ってます。末永くよろしくです。
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カテゴリ:日記・随筆( 15 )

中国人の日本語作文コンクール

今日の午後、「第一回 中国人の日本語作文コンクール」の表彰式に参加してきました。blogを通して知り合った在日華僑の段躍中様に「表彰式に列席したい」旨を伝えたところ、快諾してくださり、全くの部外者ながら隅っこの方に座らせてもらったわけです。
このコンクールに関する記事は、以下で見ることができます。
http://duan.exblog.jp/i3

また、受賞作品を収めた本をいただきました。内容を紹介すると著作権に触れてしまうので、以下に書名を紹介しておきます。中国人の中でも日本人をよく知る彼らの、生の声が聞けるいい本だと思います。ぜひお手元に一冊!
『日中友好への提言2005 -第一回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集-』
段躍中編 日本僑報社

まだ、全部は読み終わっていないのですが、かなりレベル高いです。とても日本語を始めて数年の学生の作品とは思えない。しかも式中、優勝者の日本語でのスピーチが素晴らしかった。
日中関係が冷え込んでるせいもあるんでしょうが、全体的に見て「日中関係」を憂慮する作品が多かった。そして、両国が仲良くできない事に対する「寂しさ」が伝わってくる。この「寂しさ」は、中国に暮らす僕にも共通のもので、ものすごく共感できます。そして、日中友好を考えるたくさんの同志がいる事を再確認できたのが、何よりの収穫でした。
式中、大使館の書記官の方の祝辞があったのですが、「政治の冷え込みが、日本語を勉強する皆さん学生に、悪い影響を与える事があってはならない」という趣旨の事をおっしゃっていました。今日の式で一番心に残っている一言です。大使館の方からこの言葉が聞けて、本当に嬉しかったです。

ちなみにこのコンクールについては、来週月曜日(12日)の夕方、TBS系でも放送されるようです。僕は見ることができなくてとても残念ですが、日本にいる皆様、ぜひ見てみてください。僕とうちの妻も映るかも!(ってそんなの見たくないか…)。

また、段躍中様に関するページは、以下の通りです。在日華僑に関する情報が満載で、「日報」の名の通り毎日膨大な量の情報を更新している
段躍中日報
は、僕もほぼ毎日チェックしてます。また、
中国研究書店
は、僕も今日はじめて知りましたが、面白そうです。
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by t-kume | 2005-12-11 00:07 | 日記・随筆

お受験

小5の時の話だから、もう15年くらい前のことです。僕はひょんなことから全国的に有名になった大阪教育大学附属池田中学(池附)を受験するために、N塾に通ってました。

受験まで一年とせまった(せまってない?)ある冬の日、塾の先生が全員いなくなるという話が全校に伝わりました。ライバルのW塾が大量の引き抜き攻勢をかけ、先生が集団移動することになったというのです。
僕を始めクラスメートは、何がなにやらさっぱりだったのですが、お受験に熱心なママさんたちは慌てたみたいで、子供をそのライバル塾へ転校させるママが続出しました。
引き抜きに伴って新しくやってきたT新塾長はさっそく保護者会を開き、生徒の流出に歯止めをかけようと説明をしたのですが、結局ほとんどの学生が出て行ってしまいました。
僕は受験にあんまり熱心でなかったのと、先生に捨てられたような嫌な気分を味わったのとで、自分から親に「転校はしない」と言い、その後もN塾に通い続けました。

塾での成績は下から数えた方が早かった僕なのですが、僕より上の学生が全部出て行ってしまったことで、塾内で池附を受験する唯一の生徒になってしまったのでした。
T塾長をはじめ先生陣も、僕を合格させる事でW塾の鼻を明かしてやろうと考えたのでしょう。その日から手取り足取りの猛特訓が始まったのでした。授業の延長、マンツーマンでの補習、分かるまで丁寧に何度でも教えてくれた。

さて、結果だが、神様は「喧嘩両成敗」の裁定を下したようで…(泣)
今考えると塾の看板として使われてた面もあるのだが、本当に嬉しかったし、N塾に在籍した中3までの5年間は、僕にとって勉強が一番楽しかった時期でもあった。

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翻って、こちらは中国。明日は年に一度の「日本語能力試験」が行なわれます。これに通れば、就職の道も大きく開ける大事な大事な試験です。
今年の9月から、僕は北京の某日本語学校で、1級と2級の試験対策班を任されているのだが、その学生も明日は奮って試験に参加します。
僕は資格を持った日本語教師ではないので、指導にもどかしいところがあったかもしれないが、T塾長の事を思い出しつつ、自分がされて嬉しかった事をできる限りやったつもりです。
学生の一人ひとりが日頃の成果を発揮して、無事にこの難関を乗り越えてくれる事を、心から祈っています。がんばれー。
そして、試験前にこのメッセージが届いちゃった学生がいたとしたら…。ネットなんかしてないで、早く寝なさい。明日は早いんだから。
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by t-kume | 2005-12-03 21:00 | 日記・随筆

麻生晴一郎さんに会う

ブログを通して知り合った、作家の(という肩書きでいいのかどうか…)麻生晴一郎さんにお会いした。麻生さんのブログで北京に来ているという事を知ったので、ダメもとで「うちに来ませんか?」と、お誘いを入れてみたのだ。お忙しいところ、わざわざお時間を割いていただき、木曜日の夜、我が家でお話を聞かせていただいた。三時間ほどの短い時間だったが、僕にとっては1学期分の授業を受けているような、内容の濃いものだった。

来ていただくことになった後、実はちょっと後悔していた。僕は麻生さんの本を一冊も読んだ事がなく、先輩に話を伺うインタビュアーとしては失礼だと思ったからだ。ただ、そんな僕の心配をよそに、麻生さんは僕のブログに予め目を通していてくださり、話したい事を準備していてくださったようだ。

学んだ事はとても多く、まだ完全に消化し切れていない部分もあるので、ここに全部を書くことはできないのだが、印象に残ったところをいくつか書いておく。

「『日中の』友好が必要だとして」そのために何が必要かとなった時に、「共通の話題」について交流するというお話があった。麻生さんは具体的に「民主」と「芸術」というキーワードを挙げられた。これは麻生さんの問題意識がそうさせたのであるから、もっといろいろなキーワードがあってもいいだろう。僕は麻生さんのように言葉にできないでいたが、日本語を教えているうちに「テレビゲーム」や「漫画」が、何かを突破するきっかけになるのではないかと漠然と考えていた。
そして、このようなキーワードを通してお互いを知るようになった人たちは、「反日」「嫌中」となった時に、「日本」「中国」というくくり方に違和感を覚えるのではないかということだった。そしてこの違和感が抑止力になるということ…。

反日デモの時、麻生さんはデモをその眼で見たそうだ。そしてデモを、「横浜スタジアムの横浜阪神戦」という言い方で表現していた。あまりにも適切なたとえで、他の言葉に置き換えると原義が壊れてしまいそうなので、そのまま引用しておきます。
今回のデモの際、日本では「政府がデモを野放しにしている」との批判が出た。だが、抑制を中国「政府」に求める事自体、すでにおかしいのではないか。民間に抑止勢力が育っていない事、その方がよっぽど問題ありなのではないか…。これは目からうろこだった。「民主」の問題とからめても味わいがある。

そして、麻生さんのブログにもあった、「インサイダーとしてしか活動し得ない政治評論」のお話。…が、これは書きません。「書きません」と書いておくことで、それが何かのメッセージになってしまうかも知れず、またそれを狙っているわけでもありますが…。

この他にも、たくさん興味深いお話があったのだが、特に「民主」の問題については、私の知識不足で吸収できない部分が多く、残念だった。中江兆民など、今後勉強して行きたい。

麻生さん、今回は拙宅にわざわざお越しいただき、本当にありがとうございました。そして、木曜日から予定が変わっていなければ、明日には日本へ帰国の予定ですね。どうぞお気をつけて。

それから、麻生さんに興味を持たれた方、ぜひ↓のリンクから麻生さんのページへどうぞ。
麻生晴一郎のページ

P.S.次の日起きてみてびっくり、500mlの“竹葉青”(山西省の汾酒に竹の葉エキスなどを加えて作られた酒)が空っぽになっていた。んー、これだよ。
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by t-kume | 2005-11-26 16:06 | 日記・随筆

吉野家にて

仕事柄よくタクシーに乗るんだけど(会社のお金で…)、タクシーのラジオでよく某ドイツの会社のCMが流れてる。15秒そこらのCMの間に「ドイツの技術」「ドイツ的デザイン」「ドイツの…」と10回近く繰り返した後、極めつけは

真的很德国!」(もう、ちょードイツチック!)。


さて、ところは変わって中国の吉野家。昨日久しぶりに行ってきました。中国の吉野家では日本のマクドナルドみたいに、お盆の上にチラシを敷いて、その上に食べ物を載せるんだけど、そのチラシが圧巻!右側4分の1ほどのスペースには、

「北京吉野家ファーストフード有限会社は、香港洪氏グループが国際的に有名なブランドに投資して設立した、ファーストフードチェーンです。“良心的品質、健康グルメ”をモットーに、多くのお客様に御贔屓にさせてもらっております。」

そして真ん中に、
「北京吉野家は、中国人自身が経営管理するブランドです。」


牛丼を食べながら、心の中のBGMは長淵だった
♪白地に赤い日の丸 この国をやっぱり愛しているのだ…
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by t-kume | 2005-11-07 18:07 | 日記・随筆

魯粛伝

硬いものが続いたので、今日は息抜きに古代史の話でも。
魯粛です。三国志通じゃなきゃ知らない名前かもしれない。三世紀、中国が魏・呉・蜀の三国に分かれていたころ(正確には分かれる直前)の、呉の国の宰相です。この時代は魏の勢力が他の二つを圧倒していました。そして、呉・蜀の二国も、荊州(現在の湖北・湖南両省にほぼ該当する地域)をめぐって対立していた。
呉蜀両国で主戦論が大勢を占めるなか、魯粛は仲介のために奔走する。蜀の関羽には脅しをかけられ約束は反故にされ、そのために呉の統領孫権には詰めが甘いと叱責される。華がなく面白みに欠けるためか、後代の小説『三国志演義』では、魯粛は凡庸で滑稽なキャラになりさがっている。
魯粛の願いもむなしく呉蜀は決裂し、その死後二年と立たないうちに呉は荊州に攻め入り、関羽の首を取る。蜀の統領劉備は弔い合戦と称して呉に攻め入るが、痛み分けの末憤死する。その後、魏を引き継いだ晋によって天下が統一されるまで、呉蜀が魏にボディーブローを与えることは、一度もなかった(孔明ファンには異論もあるでしょうが…)。

孫権は晩年に、魯粛が優秀な宰相だったことを認めたうえで、「荊州戦略だけは、奴の失敗だった」と評している。歴史に"if"は禁物だが、もし呉・蜀が荊州問題で譲歩できていれば、そして協同して魏に立ち向かっていれば、あるいは三国志の結末は違った物になっていたのではあるまいか。魯粛は、目先の些細な紛争に拘泥せず、本当の意味での大局が見えていた宰相なのではあるまいか。…と思ってみたりもするのだが、、、
魯粛の墓は、湖南省岳陽に今でもあるそうだ。いつかぜひお参りに行きたい。

「東海の魯粛、北京を行く」
ン~、この響きもなかなかいいねえ…。
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by t-kume | 2005-11-01 15:01 | 日記・随筆