筆者は北京で旅行を学ぶ大学院生。妻は中国人。明るい話題の少ない日中関係ですが、将来に向けて建設的な提案を行なっていけたらと思ってます。末永くよろしくです。
by t-kume
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30


カテゴリ:日記・随筆( 15 )

中国自動車学校奮戦記

久々の更新です。
今回は中国の教習所奮闘記をば。

自動車の免許を取ろうと思い立ったのは、去年の9月。
会社が遠い事と、嫁の実家へ帰省が便利な事が理由でした。
インターネットで近くの教習所を探し、電話で申し込みをしたところ、、、
「北京で外国人を受入れてる教習所は一箇所だけです。うちでは無理です。」
との事。

仕方なく家からむちゃくちゃ遠い、その学校へ申し込みに行きました。
が、普通コース(3500元=5万円強)を希望したのに、
「外国人は、特別コース(8000元=約12万円)と、VIPコース(12000元=約18万円)しか受けられません。」
との事(怪しいマッサージ屋の料金体系みたいです…)。

「差別だ」と憤りましたが、「決まりだ」の一点張りなので、
仕方なく2つのコースの差を尋ねると、「VIPは毎日家まで送迎車が出ます」との事。
「他には?」と尋ねると、「別に…」との事。
「でもたとえ毎回タクシーで往復しても、差額の4000元はかかりませんよね?」の問いには、受付のお兄さんが沈黙いたしましたので、あえなく特別コースでの申し込みになりました。

結果から言うと、普通コースにしなくて幸いでした。
普通コースはなんと、「学生:3~4人、教官:1名、車:1台」。
一日4時間通ったとして、練習できる時間は実質1時間強。効率が悪いことこの上ない感じを受けました。
あと、特別コースの学生は、混合う週末でも車をキープしてもらえます。
本来は、10日前に予約を入れなければ週末は一杯なのですが、かなり無理を通してもらいました。
他の教習所で「普通コース」に通ってる同僚は、去年4月から通ってるのに、未だに終わらないとかぼやいてましたし。

さて、中国の教習体系はこんな感じです。
日本のを知らないのですが、大体おんなじかな?

交通規則講習(教室)

交通規則試験

教習所内で練習(基本動作、坂道発進、縦列駐車、車庫入、等)

教習所内試験

公道で練習

公道試験

免許交付

外国人には教室での交通規則講習が免除され、代わりに教科書(10ヶ国語に翻訳されてました)を渡すから、試験の日までに自習して来いとの事。
これは、週末以外時間が取れない僕には福音です。
中国語を読むのも面倒なので、日本語の教科書を注文したのですが、これが失敗でした。

全て三択問題なのですが、誰が翻訳したのか、日本語がさっぱり判らない。

<問題1>
車を運転する時に、車を支えながら運転する人がいる場、運転手はどうすればよいか?(誤字そのまま)
<選択肢>
A.加速し置き去りにする。
B.急に停車する。
C.ゆっくり停車する。

正解はC.です。問題の意味は今もって判りませんが、正解は判ります。
次の問題。

<問題2>
機動車が正常のまま高速道路を走行する時、守るべきな規定は以下のどれであるか?
<選択肢>
A.車道境界線・追い越し変更線をまたがったり、押したりして走行することができる。
B.ランプ・加速車道・減速車道で追越しをすることができる。
C.右側(注:中国は右側通行)で追越しをすることができる。

正解はB.です。ランプなんかで追越ししていいのかどうか判りませんが、
いや、多分翻訳ミスか回答の入力ミスだと思うんですが、
そもそも「守る“べき(=must)”規定」と「“ことができる(=can)”」では、言語的にアンバランスなんですが、
何はともあれ、正解はB.です。

試験に出る問題集として渡された教科書がこの調子なので、
とりあえず教科書一冊分の問題文と、それに対応する回答を丸暗記するしかない。

得意の記憶力を活かして、筆記試験に臨んだものの、一回目は89/100点(90点で合格)。
あと一点で合格だったため、<問題2>でAを選んでいた私は、試験官(=警官)に30分におよぶ激烈な抗議を行なったんですが、
「私は日本語が判らない」
「今まで抗議してきた日本人がいないので、君の言ってる事が信頼できない」
「お前、それだけしゃべれるなら、中国語で受ければ良かったんだ」
と開き直られる始末。
中国人の態度の悪さはもちろん、抗議してこなかった軟弱な日本人の先輩達にも失望し、あえなく撃沈となりました。

二回目は99点でリベンジを果たし、晴れて教習所へ。
ここの教習所、「北京で唯一外国人を受け入れてる」だけあって、食堂の飯はうまいし、スタッフのサービスはいいし、教習車はきれいだし、なかなかお勧めです。

教習については、日本とほとんどいっしょなんだろうし、取り立てて書く事はないかなあ。
唯一違うと思われるのは、毎回のように教官が、「CDヲ聴キタイノダガ、ヨイカ?」と聞いてくるところ。というわけで、毎回歌謡曲を聴きながらの練習となりました。

あと、試験の前に補講をしてくれたのですが、その補講内容が圧巻でした。

※車に乗る前に、車の周りを一週回って、タイヤや車体に異常がないか確認しなさい。
 下を向いてくるっと回るだけでいいから。

※車に乗ったら、試験官(警官)に、「よろしくお願いいたします」と言いなさい。

※バックミラーは必ず触りなさい。調節する必要があってもなくても、調節した振りをしなさい。

※横断歩道を越えるときは、必ず首を左右に振って、歩行者確認をした事を示しなさい。
 眼球だけで確認しても、試験官は認めてくれないから。

※なにか失敗したら、とにかく腰を低くして警官に取り入りなさい。


根が従順な私にとっては、これくらいは朝飯前でございました。
そんなこんなで、金曜日(4日)に、晴れて最終試験にパスいたしました。
5営業日後(11日)に免許が発行されるようで、楽しみです。

落ちはありません。ごめんなさい。
[PR]
by t-kume | 2008-01-06 23:45 | 日記・随筆

CCTV《同楽五洲》出演記

中国の社会ニュースから、メディアで取り上げられない裏事情までを扱うブログ、
遠走高飛
でおなじみのpinpinさんから、先週CCTV(中国中央テレビ)の某番組へ出演しませんかとの紹介をいただきました。二つ返事で引き受け、昨日収録を終えてきました。

出演することになったのは、毎週土曜日の午後と晩にCCTV4で放送されている《同乐五洲》という番組。毎週7つの国から7人の外国人ゲストと3人の中国人専門家を呼んで、一つの話題についてそれぞれの文化を語りましょうという趣旨の番組です。今回は『贈り物』がテーマで、僕のほかに、アメリカ・カメルーン・ベトナム・アルジェリア・アルメニア・ブルガリアからの留学生や滞在員が集まってました。

ちなみにこの番組の司会者は、日本留学経験もあり、NHK教育テレビ『中国語会話』のアシスタントや、テレビ朝日『トゥナイト2』のレポーターを務めていた経験もある朱迅(女性)。番組収録中は中国語でしたが(当たり前か)、楽屋裏では日本語で日本滞在中のことなんかを話してくれました。
日本の某社で働いていた時、バレンタインデー(ホワイトデー?)に男の上司が箱詰めパンティを持ってきて、「一人一つや、持ってけー」と配った事、他の女性社員があまりにも普通にもらっていくので、自分ももらって帰ったことなんかを話してくれました。「日本って、ほんと開放的だよねー」と言ってましたが、これって普通なんですかね。僕は唖然としてしまいましたが…。


先週土曜日は、打ち合わせ会とのことで、テレビ局初出勤だったんですが、中国でテレビを作る事の難しさがうかがえました。舞台裏の秘密をいくつかどうぞ。

打ち合わせが始まるやいなや、プロデューサーが中国人の専門家に一言。「皆さんには中国の『贈り物』文化について語っていただくわけですが、くれぐれも視聴者に『役人の賄賂』を連想させるような内容はお控えください」。日本ならこういう爆弾発言の方が視聴率が取れて喜ばれそうだけど、そこはお国柄の違い。メディアは党の犬ですから。専門家たちも「そんな事は言われなくても分かってます」てな感じで、うなずいてました。

『国家間の贈り物』というテーマがあったのですが、「中国は友好のシンボルとしてパンダを贈っている」との専門家の発言に、問題発生。別のところから「パンダと言えば、トゥアントゥアンとユェンユェン(中国が台湾に贈りたがっている二頭のパンダ)だよなあ」。「いやまて、これは視聴者に『台湾は国だ』というメッセージを与えかねないか?」。「俺はこんな事で首を飛ばされたくないぞ」。「確かに。パンダには触れないことにしよう」。「いや、でも故意にパンダを取り上げないのも不自然じゃないか?」。……
結局収録時には、「中国の『国家間の贈り物』といえば、古くは唐の時代に則天武后がパンダを贈った事が有名ですが、…」と、中華人民共和国とは関係ないパンダ外交が取り上げられてました。中国のテレビ製作者の、危機回避能力はすごいと思いました(笑)。

打ち合わせも終わりに近づいたころ、プロデューサーが「もしあれば、収録時に民族服を着てきてください」と。
朱迅がすかさず僕を指して、「あなたは例外ね。視聴者に“違うもの”を連想させるといけないから」。和服から軍服を連想するほどIQの高い視聴者がいるかどうか疑問に思いましたが、古い日本を連想させるのはよくないという判断が局内にあるのかなあ…。それとも“違うもの”とは、章子怡(チャンツィイー)が芸者を演じた事で中国で不興を買っている(+上映禁止になった)、アメリカ映画『SAYURI』の事を指してるのか…。謎は深まるばかりです。まあ、ここまでストレートに言われると、逆に気持ちいいやね。言われなくても和服なんか着ていくつもりなかったけど。否、和服なんか持ってないけど。
さらに、アメリカのゲストは「アメリカには伝統の民族衣装なんかないと思うけど、普段着で大丈夫ですよ」と言われて、へこんでました。これが原因ではないと思うけど、この子は本番出演を辞退し、収録には代役のアメリカ人が来てました。


さてさて、昨日は収録でした。でもあんまり書くことがないなあ。
手品があったんだけど、初めて横から手品を見ました。もう一生手品は楽しめません。夢を失いたくない方は、横から見ないように。
代役のアメリカ人は、“外国人一芸コンテスト”みたいなところにも出演した事があるらしく、ものすごいハイテンションで、何曲も歌ってました。歌手顔負けの美声で、もう彼の独壇場。観客が最優秀ゲストを選ぶのですが、万票一致で彼に決定しました。
あとは、んー…、見てのお楽しみという事で。まあ、別に大した事ないですけど。4月上旬のOAだそうです。日にちが決まりましたらまたお知らせします。
[PR]
by t-kume | 2006-03-22 13:53 | 日記・随筆

CORE OF SOUL

7日、擁和宮駅の西北角にある「糖果倶楽部」というカラオケ屋ともコンサート会場ともつかない所で、“CORE OF SOUL”のミニライブがありました。…と、いかにも知った風に書いてますが、僕は2001年に日本を出て以来、流行から遠く離れた所で生活してますので、実はこのバンドのこと、知りませんでした。すみませんm(_ _)m

主催は、日本国際交流基金会で、電話で予約さえ入れればタダで入場できるという気前のよさ。こう言っちゃあなんですが、「音楽を通して日本の文化を知ってもらいましょう」という慈善活動のようなものかなあ、タダだしそんなにすごい人は来ないんだろうなあと、タカを括っておりました。

が、すごかったです。感動しました。もう、一気にファンになっちゃいました。でも音楽ド素人の僕が批評するのもおこがましいので、“CORE OF SOUL”については公式ホームページを参照ください。
CORE OF SOUL公式ホームページ

三人組のバンドなんですが、ギターのソン・ルイ(宋锐?宋睿?)は、北京出身。12歳の時に日本に渡り、その後音楽をやり始め、バンドを組んで活動中とのことです。他の二人は日本人で、中国語ができないので、おとといのライブでは彼が通訳を務めてました。今回は一連のアジアツアーの一環で、北京にも寄ったということのようです。アジアツアーについては、ソン・ルイのブログをご覧ください。
ソン・ルイの亜州之旅

バンド結成後北京ライブは初めてとのことで、会場は「おかえり」ムードで大盛り上がりでした。国籍も国境を越えて、自分のやりたい音楽に生きる人々を見て、たくさん元気をもらいました。そしてその音楽に熱狂する観客を見て(僕もその一人でしたが…)、目頭が熱くなりました。

同じ人間なんだから、僕らはきっと乗り越えられる。
些細な事に、一喜一憂しないようにしないとなあ。

そんな事を考えた一日でした。(自己陶酔チックですが…)
[PR]
by t-kume | 2006-03-09 21:42 | 日記・随筆

山西帰省旅行記“其の四”

2月6日(旧暦正月初九)
北京に帰る日がやってきた。バスターミナルや大きな駅のある原平の市内まで送ることができないとのことで、近くの駅から北京行きの各駅停車で帰ることになった。爸爸にバイクで送ってもらって、列車の時刻の20分ほど前に駅に着く。

が、「帰省に伴う混乱を防ぐため、本日は当駅からの乗車はできません」の文字。

「混乱を防ぐため、駅ごと閉鎖」とは、さすが中国、根本的なすばらしい解決方法である。しかも事前通達なしのフェイントである。しかし乗客の我々からすれば、たまったもんじゃない。特に妻は、明後日から仕事なのだ。何としてでも北京へ帰らなければならない。
駅前にはあきらめて帰ろうとする人、泣きそうな顔をして通達を見つめる人、駅員に「開けろ!」と叫ぶ人、等々がたむろしていた。僕らもとりあえず帰ろうとしたその時、たまたまその場にいた爸爸の友達が、「駅の裏からプラットホームに侵入できる」と耳打ちした。降りる客もいるのだから、列車は駅に停車はするだろう。どさくさにまぎれて乗り込んで、切符は後で何とかしようという魂胆だ。列車の到着時刻は迫っている。そうと決まればすぐにでも行動開始だ。バイクで駅の裏の畑に乗りつけ、そこからプラットホームに侵入した。
「上に政策あれば、民に対策あり」とはよく言ったものだ。プラットホームには僕らと同じように侵入した客が、すでに20人ほどいた。駅員は「今日は列車には乗れん。帰れ帰れ!」と言うのだが、誰もみな「あー、そうですか」という顔をして聞き流すばかりで、帰ろうとしない。午前11時半、定刻で列車が到着し、同時に我々20人の壮絶なバトルが始まった。そもそも乗車は禁じられているのだ。整列乗車など守っていてはドアを閉められてしまう。中年男が車掌とドアの間に強引に割込み、ドアが閉められないようにブロック体制に入る(ドアは手動なのだ)。その隙を突いて、全員雪崩のように車内へ押し入った。成功だ。

さて、僕がこの日利用したのは7096番列車の座席車。この列車には過去10回ほど乗っているのだが、乗るたびに「もう二度と乗るまい」と思いつつ、他の交通手段がないため乗らざるを得なくなる、因縁の列車である。中国旅行経験豊富な私は、声を大にして宣言する。これこそ中国一オゾマシイ列車である。読者の皆様が間違ってもこの列車を利用することがないよう、そのオゾマシサを以下に書き記しておく。お食事中の方は、読み飛ばしていただきたい。
山西省は水資源の乏しいところで、風呂に入ったりシャワーを浴びたりする間隔が著しく長い地域である。ましてこの列車の利用客は肉体労働者が多く、体内から発散される分泌物の量は言語に絶する。彼らを差別する意図は全くないが、客観的事実として非常に臭い。特に靴を脱いで、素足を座席の上に放り出された日には、鼻がひん曲がるほどの激臭が襲いかかる。
この列車は山西省の省都太原から北京までを、およそ15時間かけて結んでいる。しかも食堂車はない。となると、必然として乗客は車内で食事を摂る事になる。というわけで、ヒマワリの皮(ヒマワリの種は中国で最も一般的なおやつ)、インスタントラーメンの空容器、唐揚らしきものの骨、リンゴの芯やみかんの皮、その他お菓子や食べ物の袋、ペットボトル等が床に散乱する事になる。ゴミ箱に捨てればいいじゃないかという指摘は的を射ていない。ゴミの量が半端じゃないので、ゴミ箱なんかすぐに溢れ出してしまうのだ。散らかすなら散らかすで、そのままにしておけばいいのに、数時間毎に車掌が掃除に来る。ほうきで乱暴にブワブワと埃をまきあげ、車内は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化す。
極めつけはトイレである。一応水洗なのだが水力が弱く、排泄物を押し流す能力がないらしい。15時間の旅程では、大きい方をしたくなる乗客も少なくないわけで、●●●は塔のように積み上げられていく。中国の一般的なトイレはしゃがみ式なのだが、●●●が高い塔を形成すると、しゃがんだ際にお尻が塔に接触する事になる。それは何としてでも避けなければならない。このような極限の状況において、人はどのように用を足すか。方法は一つしかない。便器以外のところですればよいのだ。…というわけで、トイレの至るところに●●●が散乱する事になる。これらが発する独特の臭気は、トイレのドア開閉の度に、車内に充満する。車内の掃除に熱心な車掌も、どういうわけだかトイレ掃除をしようとはしない。乗客に故意の嫌がらせをしているとしか思えない。
これだけならまだいいのだ。もとい、これだけでも十分に地獄絵図的状況であるが、更にひどいことがあるのだ。私は上記のような、生命に直接害を及ぼす事がない(精神的影響を除く)と思われる臭気に対しては、抜群の耐性を持っている。そんな私が音を上げざるを得ない理由は、人体に悪影響を及ぼす臭気である。
まず第一に、タバコ。長時間にわたって娯楽のない車内に閉じ込められると、タバコしかする事がない。というわけで、吸える人(中国の場合、男のほとんど)はみなチェーンスモーキングになる。一応全車禁煙のはずなのだが、まったくもって守られていない。車掌が周って来る度に「タバコを消せ消せ!」と命令するのだが、一分後には今消したタバコに火を付ける有様である。
もう一つは、煤だ。この列車は石炭ストーブで車内を暖めたり、乗客にお湯を提供したりしている。列車を牽引しているのはディーゼル機関車なので、その排ガスも出る。今は冬で、窓はしっかり閉められているはずなのだが(これが上記の悪臭がこもる原因でもある)、どこからともなく煤が車内に流れ込んでくる。乗客は例外なく煤まみれになり、鼻糞は真っ黒に染め上がる。いや、鼻糞ではなく、煤そのものが鼻に詰まっているのかもしれない。食べかけのラーメンなどはしっかり蓋をしておかないと、5分もすればスープに黒い物が無数に浮いている。窓枠・テーブル・人の座っていないシート等にむやみに触れてはいけない。触れれば一瞬で、手が真っ黒になる。沿線はトンネルが多く、トンネルに入ると状況は更に悪化する。息が詰まりそうだ。頭が痛くなる。

このような状況において、旅の道連れ(?)であるはずの我が妻は、、、、

乗車するや否や、マフラーを顔に巻いてさっさと寝てしまった。マフラーをマスク代わりに使い、全ての感覚器官を閉ざして、暗黒の10時間を乗り切ろうという作戦らしい。先手を取られた。僕も寝たいところなのだが、そうすると荷物を見ておく人がいなくなるのでそうもいかないのだ。というわけで、話し相手もおらず、悶々としてこの悪魔的状況に耐えることになった。

途中、車掌が検札にやってきた。上に書いたように(だいぶ上だが…)、僕は強行突入で乗車したので、切符を持ってない。何か咎められるかと心配したが、何も言われる事なく切符が買えた。一人26元。10時間乗って、4~500kmの距離で、この値段である。ありえない安さだ。

この列車は途中、中国仏教の聖地である五台山(標高3058m)の麓を通る。線路の標高も2000mくらいはあるのだろう。ここを通る時に飲み終わったペットボトルの口をぎゅっと閉めておくと、北京(標高55m)に着いた時に、ペットボトルは気圧の変化でぐしゃっと潰れているのだ。「だから何だ」と言われたら困ってしまうのだが、毎回この列車に乗る際、唯一にしてささやかな楽しみは、潰れたペットボトルを作ることである。

この日、華北(中国北部)は記録的な大雪だったらしい。といっても10cmほどなのだが。列車の延着を心配したが、定刻通り9時過ぎに終点の北京南駅に着いた。
家に着いたら速攻で着ていたものを全て洗濯機にぶち込む。念入りにシャワーを浴びて、寝たのは2時過ぎであった。
もうあの列車には二度と乗りたくない。と言いつつ、また乗らざるを得なくなるんだろうなあ……。

<完>
[PR]
by t-kume | 2006-02-16 14:21 | 日記・随筆

山西帰省旅行記“其の三”

2月3日(旧暦正月初六)
この日も寝正月だった。昼過ぎに爷爷(イエイエ、父方の祖父)と奶奶(ナイナイ、父方の祖母)の家を訪問に行った。訪問と言っても歩いて5分の距離である。
爸爸、奶奶、刘鑫と僕の4人で麻雀をした。中国の麻雀は日本式と違って非常にシンプルだ。特にこの日は子供向けにルールが簡素化されていたのか、ただ鳴きまくって上がればいい、役も振りテンもあったもんじゃないという、超簡単ルールだった。はっきり言ってつまらないのだが、要は麻雀をしながらしゃべりましょう、子供を黙らせておきましょうという事らしかった。

適当なところで切り上げ、大姑(ダーグー、父の姉妹の中で一番年上の人)の家へ行く。ここも歩いて5分だ。
この家の大哥(ダーガー、長兄)は、僕が結婚する時に妻一家を説得してくれた人で、太原滞在中も仲良くしていたのだが、残念ながら今年の正月は里帰りしないそうだ。何でも「帰省してもお年玉が払えない」のだとか…。山西省では親戚関係によって孫ならいくら、甥・姪ならいくらというように、お年玉の大体の額が決まっていて、会えば絶対それ相応の額を払わなければならなくなる。大家族なので、お年玉と言えど馬鹿にはできない額になるのだ。しかし、お年玉が原因で帰省できなくなるとは、何だか本末転倒なような、可哀想なような、複雑な気がした。


2月4日(旧暦正月初七)
この日は一家総出で、10kmほど離れた村にある老爷(ラオイエ、母方の祖父)と姥姥(ラオラオ、母方の祖母)の家を訪問に行った。妈妈の兄弟姉妹4人と、その夫婦や子供が大集合していた。
姥姥は敬虔な仏教徒で、肉や魚や動物油を食べない。それで普段は肉を調理しないのだが、客が来る時はそうも言ってられないので、村のコックを呼んで作ってもらっている。婚約以来毎年この時期に来ているのだが、このコックが作る料理がたまらなくうまい。毎日でも食べたいぐらいだ。二週間前に結婚したばかりの表弟(ビャオディー、従兄弟の弟)と、ついつい飲みすぎてしまった。
食後は、去年日本に帰った時のビデオを披露した。大した物は撮ってないのだが、海を見たことない人ばかりなので、沖縄のビデオは受けがよかった。

帰り際に近くのお寺らしきところに寄る。境内ではダンスが行なわれていた。姨夫(イーフ、母の姉妹の旦那)が、村長らしき人に「日本からのお客さんだ」みたいな事を言ったらしく、一躍注目の的になってしまう。
管理人らしき人が出てきて、御堂の鍵を開けて、関羽・周倉・関平やら子宝の神様やら先祖に会える神様やら観世音菩薩やら、色々なお寺の神様を見せてくれて、説明までしてくれた。お線香を上げてお賽銭を入れてお参りしておいた。こういう時、中国は融通が利いて面白いなと思う(融通が利くのは田舎限定ですが)。


2月5日(旧暦正月初八)
昼前に爸爸と刘鑫と一緒に、村の広場へダンスを見に行く。テレビがここまで普及してる時代に、素人のダンスなんて人気がないらしく、見物人は年寄りと子供ばかりだった。我が家でも子供が行きたがるので、渋々連れて来ただけであった。僕も初めて見るわけではないので、取り立てて興味はなかったのだが、家にいるのも暇なので見に行った。案の定、つまらなかった。

散歩がてら、歩いて10分くらいのところにある川を見に行く。この辺の人はこの川を「大河(ダーハー)」と呼んでいるのだが、大河だったのは十数年前の話で、最近は気候変動で川幅10数メートルの小川になってしまっている。これだって山西省にしてみれば随分大河なのだが…。去年来た時はダンプカーで通ってもびくともしなそうな氷が張っていたのだが、今年は川の上を歩くとミシミシ音がする。川を渡るのは止めて、帰ることにする。
川沿いの地面には霜のような白い物が一面にはびこっている。爸爸曰く、塩だそうな。試しに舐めてみると、確かに塩辛い。山西省の土壌は塩分が濃く、川沿いは特に濃いので作物が育たない。昔はこの白い砂を集めて持ち帰り、水に溶いて濾過して蒸発させて塩を作っていたそうだが、最近はコストの割に少量しか取れないのと面倒臭いので、塩作りは止めてしまったんだそうな。
そういえば前回帰国する際に、村の有力者から「日本の土壌改良技術を売ってくれる人を探してきてくれんか」と依頼されていた。まず詳細状況を報告してくれるよう頼んだのだが、返答がなく、それきり話が途絶えてしまっている。誰かその方面詳しい人、助けてくださいませんか?

昼飯には、僕がお土産に買ってきた「五粮液(ウーリャンイエ)」という白酒を開けた。僕はずっと山西省に滞在しておきながら、山西省のキリリとした酒より、四川省のコクのある酒の方が好きなのだ。それで思いっきり自分の好みで、今回は四川省の酒の代表格である五粮液をお土産にしたのだ。で、家族やその友達にも飲んでもらったのだが「うまいとは思うが飲みなれない」との事。失敗であった。次回は北京産のキリリ酒「二锅头(アルグオトウ)」を買って帰ろうと思った。

午後は、のんべんだらりと過ごし、この日を終えた。
[PR]
by t-kume | 2006-02-14 16:13 | 日記・随筆

山西帰省旅行記“其の二”

2月2日(旧暦正月初五)
北京発太原行N201列車。車内はムーンライトになる前の大垣夜行に乗ったことのある人はあんな感じだと思ってもらえればいい。夜行なので車窓の景色も何もあったもんじゃない。寝たり起きたり話したり食べたりを繰り返すだけだ。列車を避けてバスにしたかった何よりの理由は、原平の到着時間だ。朝5時過ぎ。妻の実家への始発バスは8時頃だろうから、それまで駅の待合室で震えていなければならない。列車が3時間ほど遅れてくれる事を切に切に祈ったが、快調に飛ばしていく。延着は望み薄だ。
ところが朝の4時ごろに妻の姐夫(ジエフー、姉の旦那)から携帯に電話がかかる(以下いちいち「妻の○○」「妻の★★」と書くのは面倒くさいので、「妻の」は省略する)。駅まで軽トラで迎えに行ってやるとの事だ。こんな朝早くに、なんていい人なんだ!!いやー、助かった。
朝5時15分。ほぼ定刻に、零下15度のプラットホームに投げ出される。待合室に駆け込むが、ここもあんまり暖かくない。5時半頃に姐夫が迎えに来てくれた。迎えに来てもらってこういうのもなんだが、軽トラはものすごいオンボロだ。窓は斜めに入ってて完全に閉まらないし、穴という穴から隙間風が入ってものすごく寒い。大人三人が横一列に座るものだから、ものすごく窮屈だ。威勢のいいモーター音とは裏腹に、速度は一向に上がらない。妻の実家までは国道108号線を北に一直線だ。1時間弱の道のりで、一度もカーブがない大平原である。6時半頃“崞阳镇郑家营村”の実家に到着する。妈妈(マーマ、母)が起きて、石炭ストーブに火をくべてくれていた。感謝感謝。

ところでこの家、いろいろ面白いのだ。爸爸(バーバ、父)は左官兼絵描きで、家の壁に山水画や動物画を画いたり、寺に観世音菩薩や関羽の粘土細工を作ったりしている。そんなわけで、この家には壁という壁、門という門に絵が画いてあるのだ。あと面白いのは、直径1メートルはある大鍋。これは山西省でもこの地方にしかない物だそうで、鍋の底で麺や餃子などを茹でつつ、その蒸気を利用して肉まんやら残り飯やらを温めることができる優れ物だ。大人二人でないと持ち上がらないので、洗うのはとても大変なんですが…。石炭が豊富で火力には困らないのと、極端に水資源が不足してるのとで、こういう鍋ができたのかなあと思う(違ってたらごめんなさい)。

あと面白いのが、資源のリサイクル方法。大まかに言うとこんな感じです。手と顔を洗った水で足を洗う。洗濯に使った水は床掃除や雑巾洗いに利用する。これらの水は家の外に捨てて、井戸の周りには撒かない。野菜を洗った水は庭の植物に撒く。食器をすすいだ油の混じった水は番犬や家畜に飲ませる。残飯は番犬や家畜にやったりポットントイレに捨てたりする。石炭ストーブの燃えカスもトイレに捨てて、トイレのゴミは肥料にする。自分で汲み取るのは嫌なので、大抵の家庭は1斤(=500g)いくらとかで(細かい数字は忘れました)業者に売っているようです。などなど、非常に合理的です。

昼前に姐姐(ジエジエ、姉)一家がやってきた。今年小学校に上がる甥の刘鑫(リウシン)がやってくると、僕が子守役になる。昔取った杵柄で(大学時代は子供会をやっておりました)、子供と遊ぶのはお手の物だ。僕と遊べば騒がない泣かないということで、親戚一同からも信頼されている。そもそも僕は方言が分からず、大人連中の話には口を挟めないということもあるんだが…(1対1で話す時は標準語らしき言葉を話してくれるのだが、3人以上での会話になると未だに聞き取るのが辛い)。

昨晩あまり寝ていない事もあり、この日は「朝食+酒→だべり→朝寝→昼食+酒→だべり→昼寝→夕食+酒→だべり→就寝」という典型的寝正月を過ごしてしまった。帰省が遅かった事もあり、正月料理の華の部分はすでに食べつくされてしまっていたが、絞めたばかりの鶏と、近所から買ってきた豚の丸焼き(豚一頭は一家では食べきれないので、食べる時は近所を呼んで切売りするらしい)は最高にうまかった。
[PR]
by t-kume | 2006-02-11 15:22 | 日記・随筆

山西省帰省旅行記“其の一”

更新が随分途絶えてしまいました。一昨日まで山西省の妻の実家に里帰りしておりました。今日から数回にわたって、その時の様子をお届けしたいと思います。

2月1日(旧暦正月初四)
妻の実家のある山西省原平市へは、去年北京からの直通バスができました。1日1往復だけですが。列車と比べて運賃は倍ほどするのですが、バスは速くて快適なので(日本と逆ですね)利用してみる事にしました。そこで、北京西駅の近くにある六里橋バスターミナルへ。

…が、来ない。

時刻表では1月29日の旧暦の元日から三日間運休した後、この日から運行再開のはずである。これは正月前に電話でも確認したし、現に今、ターミナルの切符売り場で聞いてもそうだと言う。なぜ来ないのかを問いただすと、
「ドライバーが今日は客足が見込めないと踏んで、正月休みを延長したのでしょう」
とのこと。「はあ???」である。だったら始めからそう発表しろよと言いたい。もとい、言った。だが言ったところでどうにもならない。
とりあえず、時刻表どおりバスに乗るつもりで重い荷物を担いでタクシーで来たのだから、そのタクシー代は返金されるべきだと詰め寄る。が…
「你到法院起诉去吧,车站跟司机没关系(裁判所へ訴えなさるがよろしかろう。バスターミナルはドライバーと無関係です)」
「はあ?????」である。返金は無理だろうと思っていたし、丁寧に理由を説明されて、謝罪の言葉も聞ければ納得しようと思っていたのだが、この一言でブチ切れた。責任者を出せとゴネる。中国の切符売り場は、列車でもバスでもガラス越しになっている所が多いのだが、これはつかみ合いのケンカを避けるためかと思う。この服務態度でケンカにならない方がおかしい。周囲のお客様にも聞こえるように、大声で切符売りのおばちゃんを非難したが、奴は首を横に振るばかりでお話にならない。埒が開かないのであきらめる。ただ引き下がるのも癪なので、でかい音を出してタンを吐き捨ててやった。心が狭いと言われようが、マナーが悪いと言われようが、そのくらいしないと収まらない(中国の名誉のために言っておくと、ところ構わずタンを吐き散らしていたのは一昔前の話。今、普通の人は、公衆の面前ではほとんどやりません)。
あきらめて帰ろうとすると、ターミナルの入口近くで、大同という原平に程近い町(と言っても150kmはある)へ行く車のドライバーが客引きをやっていた。大同で乗り換えて帰省するのもありかと思い、大同方言の分かる妻が値段交渉に行った。こういう値段交渉は方言でやってもらうに限る。そうすれば事情通と思われ、ドライバーも無茶な値段は提示してこないのが普通だ。が、提示された運賃は1人300元。普段の3倍以上の値段だ。正月で正規のバスがないのをいいことに、完全に足元を見られている。こんな奴の車に乗ったら、どこぞの山奥で身ぐるみ剥がれて捨てられかねない。そもそもそんな金があるなら飛行機で帰省している。値段交渉をさっさと切り上げ、夜の列車の切符を取るべく北京駅へ向かった。

北京駅ではあっさり今晩の切符が取れた。中国の帰省ラッシュは日本のに輪をかけて凄まじいが、この時期地方へ向かう列車は正月明けの下り線なので、客はそれほど多くない。硬座(2等座席)で1人65元。バスの半額だ。憂さ晴らしに、浮いた分のお金で北京ダックでも食べようという事になった。そうと決まれば元気百倍だ。勇んで王府井の“全聚德”という有名な北京ダックの店へ向かう。

高かった。僕は山西省太原で食べた時の感覚で、全聚德は二人でおなか一杯食べて80元のつもりで行ったのだが、腹八分で204元もかかってしまった。全国統一価格ではないのだろうか?それとも知らぬ間に値上げされてたのか?目の玉が飛び出るほどの高さに、大好きな“アヒルの心臓の直火焼”をあきらめる。初めて食べた“アヒルの肝の冷菜”は、チーズみたいでうまかった。他はまあまあやね。「浮いた分のお金」のつもりが、痛い出費を強いられる。自費で全聚德に行く事は当分あるまい。
余談だが、北京ダックは基本的に皮付き肉しかたべないので、皮を切り取った後の肉と骨が大量に余る。王府井の全聚德ではこの余り(中国語で“鸭架”)を、三匹分10元で売っている(テイクアウトのみ)。これ半匹分と冬瓜を圧力鍋で煮込めば、4~5人前のアヒル肉スープが作れる。驚きの安さで、しかもうまい。北京在住の方、ぜひお試しあれ。

今晩の列車は寝台ではないので、家に帰って昼寝をする。8時過ぎに家を出て、北京駅へ向かった。
[PR]
by t-kume | 2006-02-08 12:32 | 日記・随筆

週刊誌《氷点》の発行禁止と以史為鑑

日本語訳載せました。

日本語

昨年年末の新聞《新京報》の総編集長更迭に続き、中国メディア界にまたも暴風が吹き荒れました(詳細は以下をどうぞ↓)
『新京報』風波
『氷点』李大同の抗議文
これは中国の内政問題なので、僕もとやかく言いません。ですが、今回週刊誌《氷点》の発行停止には歴史問題が関係あると聞き、一言口を挟みたくなりました。

ご存知の通り、私の祖国日本と皆さんの中国の間には、歴史問題の齟齬があります。「知中派日本人」として、僕はこのことをとても残念に思います。近代史に関して、日本の若者が知っている事は、中国の若者ほど多くありません。日本の若者はもっと近代史を一生懸命勉強するべきだと思います。しかし祖国の罪を反省するというのはとても難しいことなのです。この事は皆さんにも分かってほしいと思います。私達は秦桧の子孫で、皆さんは岳飛の子孫です。私のおじいさんは確かにあなた達のおじいさんを殺しました。これは歴史的事実ですが、私はこの歴史を思い出したくありません。一つには祖先を咎めたくないこと、もう一つは私自身は本来何も悪い事をしていない事…。

この状況を打ち破るために、我々が歩むべき道は二つあると思います。
一つはお互い歴史を忘れる事。未来だけを語り過去に触れない事。
もう一つは「歴史を鑑にする」こと。歴史のかさぶたを掻き毟り、相互に歴史に対する考えを語り合う事。交流を通して、日本人は祖先の残した傷が未だに癒えていないことを知るでしょう。中国人も加害者の苦しみを知る事ができるでしょう。我々は互いに、相手の立場にたって物事を考える能力に欠けています。私は交流を通じて、我々若者がこの苦境を乗り越えられると深く信じています。しかし「歴史を鑑にする」の「歴史」は、日本の右翼の言う「欺瞞史」であってはなりませんし、「共産党史」であってもなりません。我々は共に「客観的な歴史」を追及しなければなりません。交流の初期には相手の意見が受け入れがたく思えるでしょう(中国に着たばかりの頃の僕がそうでした)。しかし相手の心情を徐々に理解できるようになるでしょう(今の僕がそうです)。日本が加害者で中国は被害者であるという図式はその通りですが、日本の指摘の一部は皆さんにとって耳の痛いものになると思います。例えば戦争の死傷者数の水増し問題などです(手元に2005年8月31日付の《新京報》をお持ちの方は王錦思の評論を読んでください。日本語が分かる方は、以下に日本語訳があります↓)
王錦思の評論翻訳

この度週刊誌《氷点》が発行停止になった原因は、《氷点》が義和団の残酷さを挙げ、中国の歴史教科書が義和団を英雄扱いしているのは偏っていると指摘した事にあったと聞きました。義和団は抗日戦争の核心問題ではありませんが、共産党が歴史観をかくも厳重に統制しているのを知って、私は呆れて口が塞がりませんでした。やれやれ、我々が歴史問題を解決できる日は、いつになることでしょう。

読み終えた方、意見をどうぞ(commentsをクリックすればコメントできます)。ここは「百花斉放(百の花が咲きそろう。言論の自由の喩え)」の花園です。
ついでに、私の中国語の間違いがありましたら指摘してください。ありがとうございました。


中国語

紧接着去年年末《新京报》总编辑的更迭,中国媒体界有刮起一阵大风暴(详细消息如下↓)。
『新京報』風波
『氷点』李大同の抗議文
这是中国的内政问题我也不多说了,但据说这次《冰点》周刊的停刊和历史问题有密切的关系,我也想插一下嘴。

众所周知,我的祖国日本和你们中国在历史问题上有隔阂,作为“知中派日本人”我深感遗憾。关于近代史,日本年轻人了解的确实不如中国年轻人多,我觉得他们很有必要认真学习近代史。但请你们理解,反省祖国的罪是很难做到的。我们是秦桧的子孙,你们是岳飞的子孙,我的爷爷确实杀了你的爷爷了,这是历史事实,但我不想去回想这段历史。一是因为我不想得罪自己的祖先,二是我本来没做坏事…

为了打破这一困境,我觉得咱们有两条路可走。
一是咱们都忘掉历史,谁也不说谁了,咱都只看未来不说过去。
二是“以史为鉴”,咱们彻底揭开历史的疮疤,互相讨论对历史的看法。通过交流,日本人可以看到祖先留下来的伤痕还没有愈合,中国人也可以想像到加害者的痛苦。咱们都缺乏站在对方的立场考虑问题的能力,我深信通过交流咱们年轻人肯定能打破这一困境的。但“以史为鉴”的“史”不应该是日本右翼的“欺瞒史”也不应该是“党史”,咱们应该共同寻求“客观历史”。咱们必须倾听对方的意见,在交流的初期阶段也许觉得对方的意见很别扭,(刚来中国时的我就是这样),但慢慢会理解对方心情的(现在的我就是)。日本是加害者中国是被害者这一框架虽然如此,但有些日方的谴责对你们来说也许是逆耳的,比如说伤亡人数问题(手头有2005年8月31日的《新京报》的可以看王锦思的评论,能看懂日语的这里有翻译↓)
王錦思の評論翻訳

听说这次《冰点》停刊的原因是它指出义和团的残酷性,评论中国的历史教科书把义和团视为英雄是片面的。虽然义和团问题不是抗日战争的核心问题,但看到G党对历史观的控制如此严重,我真的是愣呆了。唉,咱解决历史问题的日子什么时候能过来啊…。

欢迎发表自己的看法(点击comments留言一下吧!!),这里是“百花齐放”的花园。
也欢迎纠正我的汉语语法问题,谢谢!!
[PR]
by t-kume | 2006-01-26 23:01 | 日記・随筆

千里走単騎

『千里走単騎』は、中国が誇る映画監督張芸謀の新作です。
高倉健が雲南省までやって来て、主役を演じてます。
日本名は調べてないけどストレートに「単騎千里を走る」とかなのかな?

妻と一緒にDVDで見ました。海賊版で5元(=約70円)。
まだ見てない人のために、興味を失わせない範囲であらましを…

高倉健演じる高田父は、数年来息子とうまくいってない。
ある日息子の嫁から電話があり、息子がもう長くないことを知る。
そこで、わだかまりを解こうと息子に会いに行くのだが、面会を拒絶されてしまう。
嫁を通して息子が雲南省の劇を研究していた事を知った高田父は、
単身中国に乗り込み、雲南省麗江へ旅をする。
そこで…

といった感じです。台詞のほとんどは高倉健がしゃべっているし、他の人の台詞にも翻訳がついているので、中国語の勉強にしたい人には期待外れかも。
でも最近のハリウッドもどきの張芸謀作品より、昔の素朴な作品が好きだった人にはいいかも。

高倉健と息子夫婦を除く中国人の役者は、全て雲南省の現地の人です。僕の中の張芸謀代表作「一个也不能少(邦題:あの子を探して)」もそうですが、素人役者を使わせたら彼の右に出る者はいないでしょう。今回も案内役の邱林(チウリン)と孤児の杨杨(ヤンヤン)の演技はとても自然です。

高倉健が杨杨を追いかけるシーンで、ぐっときてしまいました。なぜって、それは内緒ですが…。

さて、見終わって妻が一言。
つまりは「雲南ひいては中国の観光PR」と、「最近日本と中国仲悪いから仲良くしましょう」ということね。と。
んー、まあそう言っちゃー身も蓋もないんですが、一理あるかも。

とりあえず、まだの方、ご覧あれ。
[PR]
by t-kume | 2006-01-16 15:49 | 日記・随筆

中国語のクラスにて

僕は大学院生なのですが、英語の授業を中国語に振り替えてもいいという事なので、いろいろな国から来た学生と一緒に中国語の授業も受けてます。その授業中のお話。

教科書を勉強し終わって、何もすることがないので、興味のある事について討論という事になった。すると西アフリカのシエラレオネから来たマルクス君が、
「老师,对历史遗留下来的问题你怎么看?(先生、歴史的な問題についてどう思いますか?)」と…。
先生の顔に緊張が走ったのが目に見えて分かった。同時に日本人と韓国人の学生も消火体制に入る。毎日顔を合わせる仲なのだ。波風を立てずにこの場を乗り切りたい思いは一致している。先生が消火器を発射する。若い人たちには関係ないという論法だ。

ところが、マルクス君の言いたい事は、東アジアの歴史のことではなかったらしい。ヨーロッパのアフリカ植民地化の話だという。
彼は自分が黒人である事で、随分興味本位の目で見られるという。道を歩いていても「黒人や、黒人おるで」と指を指されて疲れるという。「黒人(heiren)」という単語を聞くたびに、差別的な意味合いを感じるという。テレビに出てくる黒人は決まって悪役で(中国にはボビーオロゴンみたいな存在がいない)、見ていて悲しくなるという。「同じ人間なのになぜ?」「貧しいのは歴史のせいで、俺のせいじゃない」「中国では人種差別が助長されてる」と訴えていた。
僕も言いたいことがあったので、続いて発言した。昔S省で働いていた時、同僚の中国人やカナダ人の先生と一緒にレストランに行った。隣の席にいた7,8歳の男の子が、カナダ人の先生に興味を持って話しかけてきた。中国人の先生が「このお兄ちゃんも外国人なんだよ。日本人だよ」と僕を紹介した。子供の反応はストレートだ。「嘘だ。日本人ならちょび髭があるはずだ」と。中国の日中戦争系時代劇では、日本人は必ずちょび髭を生やしている。この子が日本にどういうイメージを持ってるかは聞かなくても分かったし、案の定、最後まで僕にはなじまなかった。僕も「日本(riben)」という単語を聞くたびに、憎悪と蔑視の混じったような感じを受ける事、戦争物の番組を見るたびに胸糞が悪くなる事などを話した。
続いて韓国の学生がフォローとまとめに入ってくれた。自分は韓国の田舎の出身で、中国に来るまで外国人と交流した事はなかった。当然日本に対していいイメージは持ってなかったし、アフリカの事なんて何も知らなかった。中国に来てしばらくして、中国人と日本人の学生と交流する機会があった。その場である中国人が、その場に一人しかいなかった日本人に、「歴史」についての考えを問いただした。その日本人はこう言ったのだそうだ。「虽然我不能代表日本,但是我觉得当时的日本不对,很抱歉(僕は日本を代表する事などできないけれど、当時の日本は悪いと思う。ごめんなさい)」。彼女は胸に手を当てて考えたという。自分はこの日本人に恨みなどないのに、どうしてこうやって虐めているんだろうと。その後多くの日本の友達を持って、日本に対する偏見も消えたという。またユーモアのあるマルクス君のおかげで、自分の黒人に対する印象はすごくいいのだと。

留学ってこれだから面白い。久しぶりに濃密な時間を過ごす事ができました。

おまけ:
ぶっちゃけモードになったついでに、昼飯時にペルー出身の華僑の女の子に「フジモリをどう思う?」と聞いてみた。彼女は「自分に似ているから好きだ」と。理想に一直線で何事も自分で決めるスタンスが自分に似ているんだそうな。独裁なくして南米で大統領などありえない、フジモリは国民のためになる事をしたというのが彼女の意見でした。
[PR]
by t-kume | 2005-12-27 21:27 | 日記・随筆