筆者は北京で旅行を学ぶ大学院生。妻は中国人。明るい話題の少ない日中関係ですが、将来に向けて建設的な提案を行なっていけたらと思ってます。末永くよろしくです。
by t-kume
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魯粛伝

硬いものが続いたので、今日は息抜きに古代史の話でも。
魯粛です。三国志通じゃなきゃ知らない名前かもしれない。三世紀、中国が魏・呉・蜀の三国に分かれていたころ(正確には分かれる直前)の、呉の国の宰相です。この時代は魏の勢力が他の二つを圧倒していました。そして、呉・蜀の二国も、荊州(現在の湖北・湖南両省にほぼ該当する地域)をめぐって対立していた。
呉蜀両国で主戦論が大勢を占めるなか、魯粛は仲介のために奔走する。蜀の関羽には脅しをかけられ約束は反故にされ、そのために呉の統領孫権には詰めが甘いと叱責される。華がなく面白みに欠けるためか、後代の小説『三国志演義』では、魯粛は凡庸で滑稽なキャラになりさがっている。
魯粛の願いもむなしく呉蜀は決裂し、その死後二年と立たないうちに呉は荊州に攻め入り、関羽の首を取る。蜀の統領劉備は弔い合戦と称して呉に攻め入るが、痛み分けの末憤死する。その後、魏を引き継いだ晋によって天下が統一されるまで、呉蜀が魏にボディーブローを与えることは、一度もなかった(孔明ファンには異論もあるでしょうが…)。

孫権は晩年に、魯粛が優秀な宰相だったことを認めたうえで、「荊州戦略だけは、奴の失敗だった」と評している。歴史に"if"は禁物だが、もし呉・蜀が荊州問題で譲歩できていれば、そして協同して魏に立ち向かっていれば、あるいは三国志の結末は違った物になっていたのではあるまいか。魯粛は、目先の些細な紛争に拘泥せず、本当の意味での大局が見えていた宰相なのではあるまいか。…と思ってみたりもするのだが、、、
魯粛の墓は、湖南省岳陽に今でもあるそうだ。いつかぜひお参りに行きたい。

「東海の魯粛、北京を行く」
ン~、この響きもなかなかいいねえ…。
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by t-kume | 2005-11-01 15:01 | 日記・随筆
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