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筆者は北京で旅行を学ぶ大学院生。妻は中国人。明るい話題の少ない日中関係ですが、将来に向けて建設的な提案を行なっていけたらと思ってます。末永くよろしくです。
by t-kume
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中国自動車学校奮戦記

久々の更新です。
今回は中国の教習所奮闘記をば。

自動車の免許を取ろうと思い立ったのは、去年の9月。
会社が遠い事と、嫁の実家へ帰省が便利な事が理由でした。
インターネットで近くの教習所を探し、電話で申し込みをしたところ、、、
「北京で外国人を受入れてる教習所は一箇所だけです。うちでは無理です。」
との事。

仕方なく家からむちゃくちゃ遠い、その学校へ申し込みに行きました。
が、普通コース(3500元=5万円強)を希望したのに、
「外国人は、特別コース(8000元=約12万円)と、VIPコース(12000元=約18万円)しか受けられません。」
との事(怪しいマッサージ屋の料金体系みたいです…)。

「差別だ」と憤りましたが、「決まりだ」の一点張りなので、
仕方なく2つのコースの差を尋ねると、「VIPは毎日家まで送迎車が出ます」との事。
「他には?」と尋ねると、「別に…」との事。
「でもたとえ毎回タクシーで往復しても、差額の4000元はかかりませんよね?」の問いには、受付のお兄さんが沈黙いたしましたので、あえなく特別コースでの申し込みになりました。

結果から言うと、普通コースにしなくて幸いでした。
普通コースはなんと、「学生:3~4人、教官:1名、車:1台」。
一日4時間通ったとして、練習できる時間は実質1時間強。効率が悪いことこの上ない感じを受けました。
あと、特別コースの学生は、混合う週末でも車をキープしてもらえます。
本来は、10日前に予約を入れなければ週末は一杯なのですが、かなり無理を通してもらいました。
他の教習所で「普通コース」に通ってる同僚は、去年4月から通ってるのに、未だに終わらないとかぼやいてましたし。

さて、中国の教習体系はこんな感じです。
日本のを知らないのですが、大体おんなじかな?

交通規則講習(教室)

交通規則試験

教習所内で練習(基本動作、坂道発進、縦列駐車、車庫入、等)

教習所内試験

公道で練習

公道試験

免許交付

外国人には教室での交通規則講習が免除され、代わりに教科書(10ヶ国語に翻訳されてました)を渡すから、試験の日までに自習して来いとの事。
これは、週末以外時間が取れない僕には福音です。
中国語を読むのも面倒なので、日本語の教科書を注文したのですが、これが失敗でした。

全て三択問題なのですが、誰が翻訳したのか、日本語がさっぱり判らない。

<問題1>
車を運転する時に、車を支えながら運転する人がいる場、運転手はどうすればよいか?(誤字そのまま)
<選択肢>
A.加速し置き去りにする。
B.急に停車する。
C.ゆっくり停車する。

正解はC.です。問題の意味は今もって判りませんが、正解は判ります。
次の問題。

<問題2>
機動車が正常のまま高速道路を走行する時、守るべきな規定は以下のどれであるか?
<選択肢>
A.車道境界線・追い越し変更線をまたがったり、押したりして走行することができる。
B.ランプ・加速車道・減速車道で追越しをすることができる。
C.右側(注:中国は右側通行)で追越しをすることができる。

正解はB.です。ランプなんかで追越ししていいのかどうか判りませんが、
いや、多分翻訳ミスか回答の入力ミスだと思うんですが、
そもそも「守る“べき(=must)”規定」と「“ことができる(=can)”」では、言語的にアンバランスなんですが、
何はともあれ、正解はB.です。

試験に出る問題集として渡された教科書がこの調子なので、
とりあえず教科書一冊分の問題文と、それに対応する回答を丸暗記するしかない。

得意の記憶力を活かして、筆記試験に臨んだものの、一回目は89/100点(90点で合格)。
あと一点で合格だったため、<問題2>でAを選んでいた私は、試験官(=警官)に30分におよぶ激烈な抗議を行なったんですが、
「私は日本語が判らない」
「今まで抗議してきた日本人がいないので、君の言ってる事が信頼できない」
「お前、それだけしゃべれるなら、中国語で受ければ良かったんだ」
と開き直られる始末。
中国人の態度の悪さはもちろん、抗議してこなかった軟弱な日本人の先輩達にも失望し、あえなく撃沈となりました。

二回目は99点でリベンジを果たし、晴れて教習所へ。
ここの教習所、「北京で唯一外国人を受け入れてる」だけあって、食堂の飯はうまいし、スタッフのサービスはいいし、教習車はきれいだし、なかなかお勧めです。

教習については、日本とほとんどいっしょなんだろうし、取り立てて書く事はないかなあ。
唯一違うと思われるのは、毎回のように教官が、「CDヲ聴キタイノダガ、ヨイカ?」と聞いてくるところ。というわけで、毎回歌謡曲を聴きながらの練習となりました。

あと、試験の前に補講をしてくれたのですが、その補講内容が圧巻でした。

※車に乗る前に、車の周りを一週回って、タイヤや車体に異常がないか確認しなさい。
 下を向いてくるっと回るだけでいいから。

※車に乗ったら、試験官(警官)に、「よろしくお願いいたします」と言いなさい。

※バックミラーは必ず触りなさい。調節する必要があってもなくても、調節した振りをしなさい。

※横断歩道を越えるときは、必ず首を左右に振って、歩行者確認をした事を示しなさい。
 眼球だけで確認しても、試験官は認めてくれないから。

※なにか失敗したら、とにかく腰を低くして警官に取り入りなさい。


根が従順な私にとっては、これくらいは朝飯前でございました。
そんなこんなで、金曜日(4日)に、晴れて最終試験にパスいたしました。
5営業日後(11日)に免許が発行されるようで、楽しみです。

落ちはありません。ごめんなさい。
# by t-kume | 2008-01-06 23:45 | 日記・随筆

当爸爸了!!

当爸爸了!!_e0087876_174932.jpg

# by t-kume | 2007-06-06 01:08

靖国問題(中文版)

以下三篇是去年10月份,小泉首相参拜靖国神社时我在这个blog上发表的文章,这次为了中国朋友了解“靖国神社问题”,我专门翻译了这些文章。其中应该有翻译错的地方,敬请纠正啊!!

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靖国问题1:靖国问题的框架
原文(日语):http://nakamaro21.exblog.jp/1528982/
发表日期:2005年10月20日

我现在在北京,目前为止没有看到小泉参拜带来的不好的后果。或许这周末在日本大使馆门前发生点小意外,但我估计规模不会像今年(05年)4月份的那么大吧。小泉参拜神社的同一天,正好在中国发生“神州六号的归还”和“巴金的逝世”两个大事件,幸好淡化了老百姓的关注程度。

关于靖国神社问题,我有一个很大的疑问。日本人常说“参拜是对日本人来说是理所当然的”“中韩两国总是干涉日本的内政问题”,而中国人也常说“拜鬼”“日本军国主义的复活”之类的话。请问,这一老框架是谁定的呀?什么时候定的呀?

小泉第一次参拜靖国是2001年8月13日,那时候我正在上海的F大学参加汉语培训班,我是在出租车的收音机广播上听到这一消息的。老实坦白,那时候我真没有什么特别的感受,没觉得“好!首相终于实现了日本人民的心愿”,也没觉得“操!首相怎么能参拜甲级战犯”。也没担心日中、日韩关系,也没有跟周围的日本朋友和中国朋友讨论过这一话题。要是只有我一个人对这一问题认识不足的话很抱歉啊,但我觉得…你们大家都是吧?都没有把靖国神社当成值得关注的事吧?那到底从什么时候有“不参拜=屈服于中韩”“日本人认为不管是好人还是坏人,死了以后都是神圣(你们真的信日本神道吗?那只不过是一部分人的信仰而已吧…)”。荒唐,真是荒唐…。

反过来看中国,其实也一样。今年夏天到北京的时候,我到一家房屋中介租房子去了。那边的小伙子知道我是日本人以后,问我这么一个问题“欸,靖国神社到底是什么样的地方?”,他说虽然这地名在新闻上经常听到,但他其实不了解,想跟我了解一下。再看看中国的报纸,今年(05年)夏天我在『环球时报』和『青年参考』两个报纸上看过“你所不了解的靖国神社”之类的报道(我为这两个报纸辩护,报道是客观介绍靖国神社的历史和一些数据,没有包括煽动性内容)。这两件事请可以说明,对中国普通老百姓来说,靖国神社是不是只不过是个“所不了解的”地方而已呢?他们是不是只因为“日本首相又做了个很不像话的事”这一社会气氛而生气而已呢?他们到底知不知道“怎么”不像话?

我再重复一下,靖国问题的框架是什么时候定的?两国人民看到的靖国问题只不过是“小泉剧场”“G党剧场”而已吧。我一直怀疑…。


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靖国问题2:靖国神社的两个面孔
原文(日语):http://nakamaro21.exblog.jp/1587022/
发表日期:2005年10月24日

我的外曾祖父是一位军人,二战时期曾在马来半岛打下英军,其后在日本做个培训后辈等闲聊职务,过个半退休的日子。不过败势已经明显的1944年冬天又被派到现在的黑龙江省牡丹江市,1945年8月与突然违约进攻过来的苏军打战,被捉捕,战后在“西伯利亚扣留”中病死(另一个说法是被苏军暗杀死),是一名相当有名的参谋长(我在这里不公开姓名啦)。就这样,我外曾祖父的灵魂在靖国神社的院内,所以我自己也跟着姥姥参拜过几次那个神社(在中国朋友也能看到的这里,公开这一信息是需要勇气的,但我还是写上吧)。因此,关于靖国神社我觉得自己比一般的日本人了解的多一些。
好。今天在这里讨论靖国神社的两个面孔,我觉得这两个面孔都值得中日两国人民知道的。

靖国神社有两个面孔,其中一个是追悼的场所,根据我的主观观察,参拜靖国神社的人的平均年龄大概超过70岁吧。对他们来说,靖国神社是供奉家人、战友、好朋友的地方(好像我姥姥的未婚夫也在那里,他是跟苏军的打战中战死的,要是人家没战死就没有我了,感觉很复杂…)。姥姥是参谋长的女儿,每次到那里都有很多人跟姥姥打招呼(从这样的小事情也能看出以前封建社会的遗迹),他们在聊天的时候我也在旁边听,但从他们的会话中我真一点都感觉不到“帝国主义的复活”“侵略史的正当化”那样的野蛮气氛呀…。大部分遗族都有“多亏战友的牺牲,自己才能返回日本”这样的“感谢”和“悔恨”夹杂的感觉,他们都认为参拜靖国神社是幸亏生存下来的自己的使命。我跟他们说“我学习汉语,在中国留学”也没有一个人皱过眉,我还亲自听到过有的遗族说“东条英机是战犯,不应该供奉在这里”。这是我想给中国朋友了解的靖国神社的一面,先不谈政治问题,我一点都不想责怪参拜神社的遗族们。

靖国神社的另一个面孔是右翼聚合的场所。你试试在“例大祭”时期去靖国神社,能看到很多坐着苔绿色面包车的傻瓜,车上放着军歌、打着“皇国○○会”“东亚△△会”之类的牌子,真是令人毛骨悚然。他们在“游就馆”的“零式战斗机”旁边聚合,搞个“为了皇国而光荣牺牲的英灵们,默祷!!”之类的奇怪仪式。从前为了弘扬民族主义精神,国家利用靖国神社是不予疑问的事实,更可惜的是对一部分人来说它现在仍是狭隘的民族主义的象征。我认为中国的报道确实有点偏向,但同时认为靖国神社确实有右翼国粹主义的一面。这是我想让日本人了解的靖国神社。

我在上次的文章里已经写过,但我还是重复一下吧,我认为不管是日本人还是中国人,都没有十分了解靖国神社。请你们不要轻易说“赞成”或“反对”,请你们首先仔细思考一下。否则的话不要随便插嘴了!
我个人认为,“首相”不应该参拜靖国神社。


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靖国问题3:施加压力的团体
原文(日语):http://nakamaro21.exblog.jp/1624889/
发表日期:2005年10月27日

关于靖国神社问题的舆论调查上,日本人的意见好像也有分歧了,“赞成参拜”和“反对参拜”各占40%多,暧昧的日本人喜欢的“不好说”只有10%左右。而仔细看他们“赞成”和“反对”的理由,就发现一个很奇怪的现象。
赞成的理由是“不能屈服于中韩的内政干涉”,反对的理由是“应该要跟邻邦搞好关系”,我觉得这一问题已经完全“变质”了。那本来是“历史观”和“怎么追悼战争死难者”的问题,现在已经变成外交问题了。不怕误解地说,我觉得年轻人对“真正意义上的”靖国问题不可能感兴趣,那只不过是老年人所关心的问题而已。

我认为“靖国神社参拜问题”在本质上与美国的“手枪控制问题”很相似。对美国平民来说,控制手枪是跟自己的日常生活没有多大利益关系的事情,控制也不能减少恐怖袭击,不控制也没有多大危害,布什不说控制只不过是因为共和党的背后有“想卖手枪”的压力团体而已了。
首相去不去靖国神社对日本人民来说也没有多大利益关系,去了也不能减少税务负担,不去也不能充实福利,小泉去靖国神社只不过是因为自民党的背后有“想让他参拜”的压力团体(=遗族会)而已了。
两个人都是为了选举,想跟那些压力团体讨好关系而已了。

小泉当首相之前对靖国神社没有那么强烈的感情,2001年自民党总裁选举的时候他以“参拜靖国”作为竞选诺言只不过是因为想打败他的竞争对手桥本龙太郎而已(桥本龙太郎是遗族会前会长,他当首相期间参拜过一次靖国神社,后来担心亚洲外交取消参拜。小泉那时如果不打“参拜”的牌子,“遗族会”的选票肯定流入到桥本的手里)。在此我想问问你们。
「2001年春天,小泉掀起一股“改革”的热潮,那时你对靖国神社问题感兴趣吗?」回答肯定是“No”吧,原来只是极少部分遗族感兴趣的问题变成大家所关注的外交问题,真是荒唐…。


我在此引用一下19日(2005年10月19日)共同社的新闻,原载是雅虎日本网站:
由于参拜,日本与中韩两国的外交有严重的停滞,关于这一问题小泉首相说“对话是可以进行的,不要只用短期的视线看问题,我觉得用10年20年30年的长期视线看问题比较好一些”。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051019-00000229-kyodo-pol

由于生物学原因,20年以后“遗族会”不能成为自民党的重要支持机构。小泉首相的意思就是说,等到那时候再解决靖国神社问题,唉…(苦笑)。


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(后记)
最近在日本发现了昭和天皇反对靖国神社的memo,这一信息哄动了日本,同时哄动了中国。其实对我来说这并不是新闻,甲级战犯供奉以后,天皇没有一次参拜靖国神社,光凭这一事实我早就看出天皇的心意。我想给中国朋友介绍东京都长石原慎太郎对此的反应,他在中国被视为日本右翼的领袖,其实看他的讲话我觉得没有在中国所报道的那么夸张吧,我直接翻译一下:
石原表示自己今年也要继续参拜后,向记者透露说「我很理解天皇的心情,我参拜的时候也没有为那些甲级战犯祈祷过,我认为他们对这一战争有责任。」
对于甲级战犯,石原都长说「那是占领军瞎定的,其中也有冤枉的,也有真正的战犯。」
对于“东京裁判”(美国为首的占领军为审判日本战犯而开的法庭),他说「那一审理是战胜者单方面地审判战败者的,没有正当性,我认为那时日本人应该自己审判误导国民的战犯。同时我认为“审判没有正当性,因此战犯没有罪”这一主张是荒谬的。」
石原都长从00年起,每年8月15日(终战纪念日)都参拜靖国神社。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060721-00000123-mai-soci
# by t-kume | 2006-07-23 12:11 | 靖国問題

CCTV《同楽五洲》出演記

中国の社会ニュースから、メディアで取り上げられない裏事情までを扱うブログ、
遠走高飛
でおなじみのpinpinさんから、先週CCTV(中国中央テレビ)の某番組へ出演しませんかとの紹介をいただきました。二つ返事で引き受け、昨日収録を終えてきました。

出演することになったのは、毎週土曜日の午後と晩にCCTV4で放送されている《同乐五洲》という番組。毎週7つの国から7人の外国人ゲストと3人の中国人専門家を呼んで、一つの話題についてそれぞれの文化を語りましょうという趣旨の番組です。今回は『贈り物』がテーマで、僕のほかに、アメリカ・カメルーン・ベトナム・アルジェリア・アルメニア・ブルガリアからの留学生や滞在員が集まってました。

ちなみにこの番組の司会者は、日本留学経験もあり、NHK教育テレビ『中国語会話』のアシスタントや、テレビ朝日『トゥナイト2』のレポーターを務めていた経験もある朱迅(女性)。番組収録中は中国語でしたが(当たり前か)、楽屋裏では日本語で日本滞在中のことなんかを話してくれました。
日本の某社で働いていた時、バレンタインデー(ホワイトデー?)に男の上司が箱詰めパンティを持ってきて、「一人一つや、持ってけー」と配った事、他の女性社員があまりにも普通にもらっていくので、自分ももらって帰ったことなんかを話してくれました。「日本って、ほんと開放的だよねー」と言ってましたが、これって普通なんですかね。僕は唖然としてしまいましたが…。


先週土曜日は、打ち合わせ会とのことで、テレビ局初出勤だったんですが、中国でテレビを作る事の難しさがうかがえました。舞台裏の秘密をいくつかどうぞ。

打ち合わせが始まるやいなや、プロデューサーが中国人の専門家に一言。「皆さんには中国の『贈り物』文化について語っていただくわけですが、くれぐれも視聴者に『役人の賄賂』を連想させるような内容はお控えください」。日本ならこういう爆弾発言の方が視聴率が取れて喜ばれそうだけど、そこはお国柄の違い。メディアは党の犬ですから。専門家たちも「そんな事は言われなくても分かってます」てな感じで、うなずいてました。

『国家間の贈り物』というテーマがあったのですが、「中国は友好のシンボルとしてパンダを贈っている」との専門家の発言に、問題発生。別のところから「パンダと言えば、トゥアントゥアンとユェンユェン(中国が台湾に贈りたがっている二頭のパンダ)だよなあ」。「いやまて、これは視聴者に『台湾は国だ』というメッセージを与えかねないか?」。「俺はこんな事で首を飛ばされたくないぞ」。「確かに。パンダには触れないことにしよう」。「いや、でも故意にパンダを取り上げないのも不自然じゃないか?」。……
結局収録時には、「中国の『国家間の贈り物』といえば、古くは唐の時代に則天武后がパンダを贈った事が有名ですが、…」と、中華人民共和国とは関係ないパンダ外交が取り上げられてました。中国のテレビ製作者の、危機回避能力はすごいと思いました(笑)。

打ち合わせも終わりに近づいたころ、プロデューサーが「もしあれば、収録時に民族服を着てきてください」と。
朱迅がすかさず僕を指して、「あなたは例外ね。視聴者に“違うもの”を連想させるといけないから」。和服から軍服を連想するほどIQの高い視聴者がいるかどうか疑問に思いましたが、古い日本を連想させるのはよくないという判断が局内にあるのかなあ…。それとも“違うもの”とは、章子怡(チャンツィイー)が芸者を演じた事で中国で不興を買っている(+上映禁止になった)、アメリカ映画『SAYURI』の事を指してるのか…。謎は深まるばかりです。まあ、ここまでストレートに言われると、逆に気持ちいいやね。言われなくても和服なんか着ていくつもりなかったけど。否、和服なんか持ってないけど。
さらに、アメリカのゲストは「アメリカには伝統の民族衣装なんかないと思うけど、普段着で大丈夫ですよ」と言われて、へこんでました。これが原因ではないと思うけど、この子は本番出演を辞退し、収録には代役のアメリカ人が来てました。


さてさて、昨日は収録でした。でもあんまり書くことがないなあ。
手品があったんだけど、初めて横から手品を見ました。もう一生手品は楽しめません。夢を失いたくない方は、横から見ないように。
代役のアメリカ人は、“外国人一芸コンテスト”みたいなところにも出演した事があるらしく、ものすごいハイテンションで、何曲も歌ってました。歌手顔負けの美声で、もう彼の独壇場。観客が最優秀ゲストを選ぶのですが、万票一致で彼に決定しました。
あとは、んー…、見てのお楽しみという事で。まあ、別に大した事ないですけど。4月上旬のOAだそうです。日にちが決まりましたらまたお知らせします。
# by t-kume | 2006-03-22 13:53 | 日記・随筆

CORE OF SOUL

7日、擁和宮駅の西北角にある「糖果倶楽部」というカラオケ屋ともコンサート会場ともつかない所で、“CORE OF SOUL”のミニライブがありました。…と、いかにも知った風に書いてますが、僕は2001年に日本を出て以来、流行から遠く離れた所で生活してますので、実はこのバンドのこと、知りませんでした。すみませんm(_ _)m

主催は、日本国際交流基金会で、電話で予約さえ入れればタダで入場できるという気前のよさ。こう言っちゃあなんですが、「音楽を通して日本の文化を知ってもらいましょう」という慈善活動のようなものかなあ、タダだしそんなにすごい人は来ないんだろうなあと、タカを括っておりました。

が、すごかったです。感動しました。もう、一気にファンになっちゃいました。でも音楽ド素人の僕が批評するのもおこがましいので、“CORE OF SOUL”については公式ホームページを参照ください。
CORE OF SOUL公式ホームページ

三人組のバンドなんですが、ギターのソン・ルイ(宋锐?宋睿?)は、北京出身。12歳の時に日本に渡り、その後音楽をやり始め、バンドを組んで活動中とのことです。他の二人は日本人で、中国語ができないので、おとといのライブでは彼が通訳を務めてました。今回は一連のアジアツアーの一環で、北京にも寄ったということのようです。アジアツアーについては、ソン・ルイのブログをご覧ください。
ソン・ルイの亜州之旅

バンド結成後北京ライブは初めてとのことで、会場は「おかえり」ムードで大盛り上がりでした。国籍も国境を越えて、自分のやりたい音楽に生きる人々を見て、たくさん元気をもらいました。そしてその音楽に熱狂する観客を見て(僕もその一人でしたが…)、目頭が熱くなりました。

同じ人間なんだから、僕らはきっと乗り越えられる。
些細な事に、一喜一憂しないようにしないとなあ。

そんな事を考えた一日でした。(自己陶酔チックですが…)
# by t-kume | 2006-03-09 21:42 | 日記・随筆